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2006年1月23日 (月)

尾高忠明の第九

P1250002馴染みの書店の店主さんからCDをいただいた。

尾高忠明&芸大オケ、合唱は沼響もお世話になっている伊豆新世紀創造祭合唱団。
2004年12月19日三島市民文化会館大ホールでのライヴ。
合唱団が制作したプライヴェートCD。

この演奏会は会場で聴いた。
ピシッと引き締まったオケとやる気充分の合唱で、非常に気持ちの良い演奏会だったと記憶している。
はたしてCDでは演奏会の記念品以上の存在価値が感じ取れるかどうか興味のあるところ。

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コメント

エーリヒ・ベルゲルについては判らない点が多いが、実兄のハンス・ベルゲルが2006年に著わした「音楽家の生涯、伝記についての個人的見解」なる本(ドイツ語)が参考になる。本自体は読んでいないが、Allgemeine Deutsche Zeitungの電子版(2006/5/12)にその本の書評がある。それによると、ベルゲルは1950年にルーマニアのクラウゼンブルクの大学でAntonin Ciolanなる人物の薫陶を受けて音楽家の道を歩み始めたとのこと。その人物はドイツでかのセルジュ・チェリビダッケに薫陶を受けたようである。従って、間接的にベルゲルはチェリビダッケの孫弟子に当たる。1959年に大学のオーケストラを振ってヘンデルのメサイヤを演奏。そのことによって宗教的神秘主義を広めたとの嫌疑で彼は当局に逮捕されてしまう。嫌疑が晴れるまでの3年間を彼は獄中で過ごす。彼は出所後、彼が以前指揮を務めていたオーケストラの第3トランペット奏者として忍従の日々を送るが、その間に彼は西側世界の音楽に目を向け始めた。彼が再びクラウゼンブルクのオーケストラの指揮者として返り咲くのは偶然であった。1966年に同オーケストラの指揮を行う予定であった米国の指揮者フリッツ・マーラー(かのマーラーの甥)が心臓発作により同地で客死した。オーケストラホールは客で溢れ返っているのに、代わりの指揮者がいない。誰もリスクを負う者がいないと思われた時、第3トランペット奏者が代役を申し出て、立派に指揮を務めた。彼はこの一件で賞賛を浴び、クラウゼンブルクのオーケストラの主席指揮者に返り咲いた。1968年にヘルベルト・フォン・カラヤンがベルゲルをベルリン・フィルに招聘した。ルーマニア国内での指揮活動のみならず、国外での活動はその後20年間続き、34カ国、160のオーケストラをその間に指揮した。1989年には反体制家の追悼の為にクラウゼンブルクのオーケストラを振って、モーツァルトのレクイエムを演奏。ブカレストではブルックナーの第4交響曲を1997年10月に振ったが、これは彼が指揮台に上がった最後となった。数ヶ月後、骨ガンに侵されていることが判り、1998年5月3日にこの世を去った。・・・以上が書評にある彼の略歴である。実兄の本は兄弟や家族、体制と個人的な生活の観点で極めてプライベートにベルゲルのことが綴られているようである。

投稿: ベルゲルの兄 | 2007年5月 8日 (火) 13時34分

ベルゲルの兄さん、ベルゲルについての詳細な情報ありがとうございます。

私は以前テレビで見た、N響客演時の妖気漂うデモーニシュなベルゲルの指揮ぶりが未だに忘れられません。

ブタペストフィルを振ったエロイカや、トランシルバニアフィルとのブラームスの交響曲全集なども、ちょっと尋常でない雰囲気の演奏でした。

投稿: 山本晴望 | 2007年5月 9日 (水) 07時39分

ちょっと思い違いがありました。フリッツ・マーラーは客死したのではなく、心臓発作で指揮できなくなって、代わりにベルゲルが指揮をしたのが正解でした。フリッツ・マーラーは1973年に米国で亡くなっています(この指揮者も不可思議な存在ですが)。いずれにせよ、数奇な運命の重なりで僅か20年ですがしっかりと我々の記憶に残る指揮活動をしました。N響との演奏は是非また放映してもらいたいものです。

投稿: ベルゲルの兄 | 2007年5月 9日 (水) 21時58分

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