シャリアピンの蚤の歌
今日は早朝から裏山に登り、採った竹でお盆の祭壇を作る。墓掃除を済ませた昼頃から親戚たちが訪れ始めた。
弟一家は一昨日イギリス旅行に旅立ったので、お盆に来ることができないが、なんとも間の悪いことに、ロンドンの空港は今大変なことになっているようだ。スケジュールを無事に消化できれば良いがと思う。
3時を過ぎた頃から、真っ黒な雨雲が空を覆い激しい雨が降り始めた。雷も盛大に鳴っている。かなり近くに雷が落ち、家がグラグラ揺れてはいるが気にしない。雨に冷やされた涼しい風が部屋に入り込み、過ごしやすい午後となった。
雷の音にかき消されがちだったが、マリナーの指揮する「ディーリアス管弦楽曲集」を聴く。デッカへの1977年録音国内盤LP。
「楽園への道」「春初めてのカッコウを聞いて」「河の上の夏の夜」など、お馴染みの心優しいディーリアスの音楽に身を浸す。1音1音、しっかり丁寧に演奏するマリナーの演奏は素晴らしい出来だが、茫洋としたつかみどころのない音楽の連続に次第に意識が遠くなってきた。雷も遠ざかったようだ。しばしの心地よい眠りの中、B面最後の「カリンダ」のおよそディーリアスらしからぬ軽やかな舞曲で目が覚める。
続いて20世紀前半に活躍したロシアの大歌手シャリアピンの声が聴きたくなった。聴いたのは、シャリアピンが自伝のタイトルにまで使ったムソルグスキーの「蚤の歌」。
シャリアピンの「蚤の歌」の録音は何種類かあるらしいが、今日聴いたのは、日本ビクターがフィリップス音源を発売していた時の「シャリアピンの芸術」というセット物3枚組LP。
オペラアリアからロシア歌曲、ロシア民謡まで収録したLPで、来日当時の豊富なエピソードや写真が載った充実した解説書がついているが、伴奏者と録音データの記載が全くないのは困りもの。
この「蚤の歌」はピアノ伴奏で歌われている。3分ほどの短い時の中、ムソルグスキーが込めた社会への皮肉と滑稽さを見事に描き出している見事な歌唱。最後の笑い声も貫禄充分だ。
同じシャリアピンの「蚤の歌」をローム・ミュージックファンデーションが出している復刻CDで聴いてみる。こちらは1936年2月の来日時の録音で、録音データははっきりしている。
こちらもピアノ伴奏だが、どうやらビクター盤はこれと同じ音源のようだ。
ところが聴き比べると声の質が全然違う。ローム盤はビクター盤より明るく軽い声で、シャリアピンが10才以上若返ったような声だ。一方のビクター盤は暗くこもりがちの声の質。シャリアピンの声のイメージとしてはビクター盤の方が近いが、ローム盤の方が本物に近い音のように思う。ビクター盤は、復刻の際に針音を完全にカットしているので、音楽の大事な部分もカットしてしまったようだ。
このロームのCDには、「蚤の歌」と同じ日に録音されたシャリアピンの「ヴォルガの舟歌」が入っている。
これが「蚤の歌」以上の凄い演奏だった。消え入るようなピアニシモから始まり次第に音量を増し、やがてピアニシモとなり遠くに消えていく。
極めてビジュアルでドラマティックな圧倒的名演奏。あまりの凄さに聴いていて鳥肌が立ってきた。録音も良い。
ついでにビクター盤に入っている「ヴォルガの舟歌」も聴いてみた。管弦楽伴奏の別録音。こちらは録音が古すぎ、伴奏のオケがおもちゃのような響きで興を削ぐ。シャリアピンの歌も来日時の録音のような圧倒的な存在感は薄れている。
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