三浦環からの招待状
先月来日したメトロポリタンオペラの記事を見ていて、20世紀初めにメトの舞台に日本人初のプリマとして立ち、「蝶々夫人」で大歌手カルーソーと共演した三浦環のことを思い出した。
三浦環については不思議な思い出があります。
もう10年近く前、沼響が山中湖畔で合宿をしたときのこと。
練習が一段落した休憩時間に、同じホルンのN君と私は一緒に山中湖を車で一周しました。
途中、由緒のありそうなお寺があり二人で立ち寄ったところ、山門の外になにやら洋風の立派なお墓がひとつ。
和風建築の山門の外にあるその西洋風の大きな墓に不自然さを感じ、二人で近寄ると案内板がありました。
そこは日本人初の国際的なプリマとして欧米各地のオペラハウスで活躍した三浦環の墓所でした。
意外な成り行きに二人は厳粛な気持ちとなり、彼女の偉大な業績を偲びながら、神妙な面持ちで両手を合わせました。
それから数日後、私は弟から昭和初期に東京でおこなわれた音楽会のプログラムや招待状、音楽家の書簡などを譲り受けました。
三浦環については不思議な思い出があります。
もう10年近く前、沼響が山中湖畔で合宿をしたときのこと。
練習が一段落した休憩時間に、同じホルンのN君と私は一緒に山中湖を車で一周しました。
途中、由緒のありそうなお寺があり二人で立ち寄ったところ、山門の外になにやら洋風の立派なお墓がひとつ。
和風建築の山門の外にあるその西洋風の大きな墓に不自然さを感じ、二人で近寄ると案内板がありました。
そこは日本人初の国際的なプリマとして欧米各地のオペラハウスで活躍した三浦環の墓所でした。
意外な成り行きに二人は厳粛な気持ちとなり、彼女の偉大な業績を偲びながら、神妙な面持ちで両手を合わせました。

神田の古書店で購入した著名作家の自筆原稿集の中に紛れ込んでいたということです。
その中の藤原義江やカーピイタリア歌劇団などのパンフや招待状を順に見ているうちに私はひとつの書簡に目が釘付けになりました。
それは昭和11年6月2日の消印、なんと三浦環の日本での「蝶々夫人」初舞台である同年6月27日歌舞伎座公演の三浦環自身からの直筆入り招待状でありました。
その中の藤原義江やカーピイタリア歌劇団などのパンフや招待状を順に見ているうちに私はひとつの書簡に目が釘付けになりました。

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