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2011年7月 8日 (金)

山中湖畔の夜

昨年の3月31日の午後、私は4月から学生生活を始める上の娘の埼玉での引っ越しを済ませ、娘を車に乗せて沼津の家に向かっていました。

その日は夕方から山梨県と静岡県東部地方は季節はずれの大雪となり、中央高速と東名高速は途中から通行止めとなっていました。そうとは知らず私は中央高速上を沼津への道を急いでいました。

やがて、東富士五湖道路が事故のため閉鎖され、籠坂トンネルが通れないことがわかりました。やむなく山中湖畔から籠坂峠を車で登り始めたところ、峠の途中で大渋滞に巻き込まれてしまいました。
山中で進退窮まる危険を感じた私は山頂付近でUターンして麓まで引き返すことにしました。
ところが既に路面は凍結し、制御の効かない車は暗い闇の底に吸い込まれるようにずるずると山中湖への坂道を自然落下し始めました。

この時の模様はこの日のブログ↓
http://harumochi.cocolog-nifty.com/horn/2010/03/post-3b48.html

車の速度は次第に増し、このままでは衝突事故かそれとも勢い余って山中湖に転落か、とまで思っていた直後、突然車が止まりました。
やったな!!と思いながら車を降りて回りを見てもどこにもぶつかった形跡はありません。車を近くにあったコンビニの駐車場へ寄せ、再度車を見ても無傷????

幸い夜中にもかかわらず近くに泊めてくれる温泉旅館があり、そのまま娘と一泊することにしました。

41s0qbb6fol__sl500_aa300_ 朝になり、良い天気となった山中湖畔の美しい景色を眺めながら娘と旅館の朝食をとっていたその時、私は三浦環の墓所がすぐ近くにあったことを突然思い出しました。

チェックアウトを急いで済ませ、私は音楽の道に進み声楽も多少かじり始めた娘を連れて、墓所に向かいました。

雪にぬかるんだ路上のところどころには放棄された乗用車が見えます。
お寺に到着すると、山門の前は白い絨毯を敷き詰めたような純白の雪、ところどころ小動物の足跡が残っています。三浦環の墓所には誰がたむけたかわからぬ一輪の花。

三浦環を知らぬ娘に、偉大なプリマの業績の説明をしたのちに神妙に二人でお参りをしました。

あの時突然車が止まらなければ、と思うと今でもゾーとします。
何事もなく無事であった不思議。今では三浦環に助けられたと思っています。

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