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2011年11月に作成された記事

2011年11月28日 (月)

小原孝「ピアノよ歌え」 春・夏・秋・冬

寒くなりました。
予想はしていたが朝から全力モードの週の始まり。明日も遅くなりそうだ。

今日は土曜日に沼響と共演していただいた小原孝先生のCDを聴く。

90年代に第8集まで発売された「ピアノよ歌え」第3集「春・夏・秋・冬」。

S_img_0001

1995年に発売されて未だに現役。
http://www2.odn.ne.jp/~cau57200/discos/estaciones.html

荒井由美の「卒業写真」から始まり、井上陽水「少年時代」など、抒情的な日本のポップスを一年の時のうつろいのまま並べたピアノソロアルバム。

沼響とのコンサートでも弾いてくれた「赤いスイトピー」はまた異なるアレンジ。

繊細で純な美しいピアノの音が静かに広がっていく、しっとりと落ち着いた時間。

Youtubeは小原孝、「ニューオリンズの黄昏」

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2011年11月27日 (日)

「明電舎沼津事業所開設 50周年記念コンサート」終わる

昨日は本番。
明電舎さんとは4年前の会社創立110周年記念コンサート以来のお付き合い。
http://harumochi.cocolog-nifty.com/horn/2007/11/post_5fc2.html
今回のプログラムも同じようなアメリカ音楽中心のプログラムとなった。

午前中のGPは10時半開始。

2011112518500001

チェレスタ、サックス群その他エキストラも全て揃い皆の集中力と厚い響きで自然と皆のテンションが上がっていく。
MCも入り本番そのままの進行。

いつもながら本番直前のこの緊張感。いいなぁ。

本番に備えてパワーをセーヴしなければならないはずが、そこまでの余裕はなくどうしても全力を出してしまう。
まぁ練習も本番同様に楽しむのがアマの目的なので、それもよし。

ところが後半に「ラプソディ・イン・ブルー」を弾いていただく小原孝先生がなかなか現れない。

2011112612410000

小原先生は前の晩鹿児島で本番だったとのこと。どうやら東京からの道が渋滞しているらしい。結局先生が到着したのがお昼過ぎ。
到着してすぐにピアノの前に座り、いきなりのガーシュインはそのまま演奏モードに突入していく凄い集中力。

そして開場、明電舎の社長さんその他のお偉方も集まり、会場受付なども全て明電舎の社員さんたち。
開演前のステージでは社長さんと沼津市長からのご挨拶。ふだんの沼響の演奏会とは異なる雰囲気だ。

本番は、にこやかな曽我先生の指揮に乗り最初のアンダーソン「舞踏会の美女」から良い雰囲気だ。
軽く楽しく、そして技術的にはさほど難しくないアンダーソンような曲が演奏会の最初にあると、軽いウォーミングアップとなり演奏する側としてはありがたい。

おそらくクラシックのコンサートは始めてのお客さんも多いのだろう。
なんとなくお客さんの表情が硬かったのだが、軽い曲が続き曽我先生のパフォーマンスも入り、会場から笑いがもれはじめてきた。ホルン6重奏の「おおスザンナ」もまぁ良い出来。

そして今日のメインのバーンスタインの「シンフォニックダンス」は正直なところ無我夢中で余裕はほとんどなし。とにかく事故もなく終わったのがよかった。

そして後半は小原先生のソロで始まる。
NHKのラジオ番組、「弾き語りフォーユー」の収録スタジオをそのまま沼津に移したかのような先生の穏やかな語り口と美しいピアノソロでたちまちのうちにお客さんたちを自分の世界に引き込んでいく。さすがです。

http://www.nhk.or.jp/fm/hikigatari/

帰宅すると、いつも辛口批評の家内が珍しく「よかったじゃない。とても沼響の音とは思えない」の一言。
一緒に聴いていたクラシックとは無縁の家内の両親も「クラシックのコンサートで眠くならなかったのは初めてだ」とのこと。

正直意外だった。他の知人の感想もほとんど好評ばかり。

曽我先生の力の大きさを痛感した演奏会。

Xat1245245043 沼響HPの聴き比べ「シベ2を聴く」にホルスト・シュタインの感想をアップしました。
http://www.numakyo.org/cgi-bin/sibe2.cgi

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2011年11月25日 (金)

明日は本番、明電舎50周年記念コンサート

とうとう明日になってしまった。
昨日はホルンパートが集まってのパート練習。

沼響の演奏会でまとまった時間のパート練習は久しぶりのこと。
Meiden_2
実は今回の演奏曲目の中にホルンパートだけの曲があるからで、開始予定の19時にはきっちり6名全員集合。それだけ危機感があるということだろうか。

場所は我が家の音楽部屋。
20111124211600_2 以前よりも音盤が増殖してしまっているので急遽部屋の隅に片付けておく。

曲はホルン合奏曲の「おぉスザンナ」のみ。
メトロノームできっちりとテンポを保持しながら数回通すとこれだけでそれなりに形になってきたように思えてきた。

このアレンジのテンポはアレグロ・モデラート。
ただなんとなくもっと速い方がしっくりいくなぁ、という無言の雰囲気が皆の間に漂っている。
参考に手持ちの音源から石丸寛指揮日本合唱協会の演奏をみんなで聴いてみたら猛烈に速いテンポだった。

結局多少速くしようということになった。

練習はその程度で、あとは皆で楽しく雑談。
気休めかもしれないが皆晴れやかな気分となり21時に解散。

そして今日は本番前日練習。

だが、夕方に本来月曜に出現する予定の仕事が急遽入り、参加が危うくなってきた。
やばくなってきたので、運営委員長には遅刻と最悪欠席の可能性をメールしておく。

結局このまま仕事内容が深夜に及びそうな気配となり、当初の予定通りに月曜に仕切り直しという話になった。

幸い練習開始には何とか間に合った。

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練習会場に着くと、本日の欠席・遅刻予定者欄には自分の名前のみ。
危うく皆の顰蹙を買うところであった。 白板に書かれた自分の名前をそーっと消しておく。

練習は曽我先生の指揮で曲順に通して行く。
アンダーソンの曲は順当に進んだものの、やはり「シンフォニックダンス」でダメだし連発。
練習が進むにつれて皆の集中力がみるみると下降線。
2011112520510000
一週間の終わりで皆も疲れているようだ。

とにかく明日は全力を出すのみ。

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2011年11月24日 (木)

雨の蓬莱橋

勤労感謝の昨日は、下の娘の全国高等学校総合文化祭日本音楽部門の県予選のために島田へ。

昨年の予選も会場は島田で、家内の両親を連れて聴きに行ったが今年は私の母も加わり総勢5人。出演者の娘は早朝に学校に集合。我々は家内の実家に寄って東名経由で島田まで。

昨年は渋滞にぶつかり一般道以上に時間がかかったが、今年は順調で吉田インターまで所要時間約1時間半。

途中富士山静岡空港に寄り見学の後、空港内唯一のレストラン沼津魚河岸寿司で早めの昼食。
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演奏開始までの時間があるので蓬莱橋を見に行こうということになった。

ところが頼りのカーナビは情報が古く、この周辺はあてにならぬのでカンで走っていたところ道に迷ってしまった。
どうやら途中で見かけた「蓬莱橋へ」の看板「矢印⇒」マークがいかなる理由か逆になっていたらしい。

走らせているうちに山奥に入り道がしだいに狭くなっていく。対向車が来たらギリギリの幅だ。
同乗の家族たちから「違うんじゃないの?」「去年はこんな所は通らなかった」
ブツブツブツ・・・・

そのうち正面から道いっぱいの幅で大型ダンプが走ってきて万事休す。左は山腹右は崖。
やむなく500メートルほどバックで走らせる。この道には大型車は通れませんの表示があったはずだが・・・・

結局道に迷って無駄な時間を費やし直接演奏会会場へ急ぐことになった。
071026_132035 会場のプラザおおるりへは開演直前にぎりぎりセーフ。

今回の出場団体は14団体ほど。

静岡県の高校筝曲部はレベルが高く、昨年の全国大会代表校は、一校が最優秀校でもう一校もベスト8入りしている。プログラムを見ると後半に強豪校が集中しているようだ。

娘の学校は前半最後の出場。曲は清水脩作曲の「三つのエスキス」

6月の高校文化祭で同じ曲を聴いているが演奏レベルが格段に上がり、まるで別の曲を聴く思い。
これならば大丈夫だろうという見事な出来に半ば安心して、前半終了後会場を後にする。
いつのまにか外は雨。

そして会場近くの蓬莱橋へ寄ってみた。

巨大な大井川に架かる雨の中の蓬莱橋の景色は風流なもの。
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そこでは安藤広重の浮世絵のような世界が広がっていた。

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一見昨年と同じのようだが、今年の台風12号で橋脚が流されたということで橋の半ばでS_pb100766 通行止めとなっていた。

臨時におかれた柵の向こうでは橋が大きく陥没している。

雨の中しばし見学の後帰路につく。

途中丸子の「丁子屋」でとろろ汁の夕食。
http://www.chojiya.info/jp/#
今年は「むかご」が不作とのことで、楽しみにしていた揚げ団子などのむかごを食材としたメニューが休止中だった。

そのうちに娘から二位で全国大会出場が決まったとのメールが入ってきた。
昨年の口蹄疫騒ぎの宮崎県、今年の原発事故で揺れる福島県に続き3年連続出場の全国大会。
来年は富山県で8月に開催。http://www.soubun2012.tym.ed.jp/
仕事に余裕があれば行ってみよう。

そして今日の夜は自宅でのホルンパート練習。

長くなったので詳細は明日。

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2011年11月21日 (月)

クラフトの弾くバッハ

11月も終わりに近づき自転車通勤が苦痛となってきた。
仕事帰りの急坂は今宵は完全に冷たい向かい風、頭上には冬の星座オリオン座が見える。とうとう冬が来た。

今週末にピークを迎えそうな仕事の山は月曜となり、ともかくオケの本番前日と重ならずに済みそうだ。

よかった・・・・

今回の本番、ホルンパートはヤバイ部分があり今週木曜に急遽パート練習を我が家でやることになった。完全に泥縄である。部屋も片付けなければ。

今日はバッハのオルガン曲からコラールを数曲。
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演奏はお気に入りのワルター・クラフトによるバッハオルガン曲全集第1巻の米VOX盤LP.

手持ちはアメリカ盤のLPで東京の中古LP屋で購入したもの。

簡素な英文の解説書を開いてみたら、最初の所有者のものらしき購入時のレシートが入っていた。
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場所はアメリカ、ロサンゼルスのもの。日付はないがこのLPの初出は60年代後半。

数十年前に同じ演奏を聴いていた見知らぬ異邦人に思いをめぐらせながら、慈愛に満ちたクラフトのバッハを聴く。

Youtubeはリパッティの弾くバッハ

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2011年11月20日 (日)

Makihara Noriyuki Concert Tour 2011-12 "Heart to Heart"

昨日は大雨、風も強く朝起きると庭には落ち葉が散乱。今日は一転して気温も高く良く晴れた一日。

金曜の夜は年に一度の槇原敬之コンサート。仕事を終え、家内と下の娘と会場の東京国際フォーラムへ。

Img_150490_51437273_0 夕食場所を探すに苦労したが会場近くの東京ビル地下の「龍福小籠堂」。
小籠包が売りのお店だが結局とろみタンメンと餃子。デザートで食べた杏仁豆腐が旨かった。http://r.gnavi.co.jp/a634212/

そして会場では上の娘と合流。

あの巨大なホールで席は右寄り前から8番目。目の前には巨大なスピーカーから大地を揺るがす大音響。クラシカルなコンサートとはまた異なるのが、また良い刺激ではある。

あい変らずの心やさしき歌の数々。周囲の観客の幸福そうな表情を見ていると自分も自然と幸福な気持ちとなっていく。

D0247261_23154482 当初はマッキーの喉のコンディションがいま一つで、曲の一つ「足音」では、観客に向かい「納得できない歌だったのでもう一度歌います。」との異例のやり直し。

ここに日本のトップアーティストとしての厳しさを見た。

バックもドラマーの屋敷豪太をはじめあい変らず凄い面々だ。
http://www.gota.com/index2.html

アンコールの最後まで聴きたかったのだが、下の娘が23日に来年の全国高校総合文化祭の予選を兼ねた発表会を控え翌日の部活は休めず、自分も親戚の法事があるために途中で退場しその日のうちに帰宅。

家内は上の娘で一泊したが、土曜日は大雨と強風のため列車が止まり、東京から沼津まで6時間かけて帰ってきた。

今日は、ラインスドルフがロイヤルフィルを振ったモーツァルトの初期の交響曲、第1番から8番までを聴く。
51roa80m2l__sl500_
ウエストミンスター原盤のMCAから出ていたCD。

これは史上初のモーツァルト交響曲全集として有名なもの。1955年から56年にかけての録音でモノラルとステレオ混成、ミヒャエル・ハイドンの交響曲第25番にモーツァルトが序奏を付けただけの第37番も収録した珍しい全集だ。

感傷を排し、きっちり整然と仕上げた演奏はこのような初期の交響曲にこそふさわしい。
モーツァルト8才の時の作品で、第二楽章に出て来る「ジュピター」のフィナーレ主題が印象的な交響曲第1番と、第3番が立派な演奏だ。

だがこの第3番は他人の作品だという。
K.F.アーベル(1723~1787)の作品だというこの交響曲に、モーツァルトはオーボエに変えて当時新しい楽器だったクラリネットを二本加えている。
これがクラリネットならではの憂いを含んだ音を見事に生かした使用法が曲想に見事に合っていて、この当時8歳だったモーツァルトの天才ぶりに驚嘆。
http://gospels.cocolog-nifty.com/classic/2006/12/post_a7ee.html

その後他の指揮者によって録音されたモーツァルトの交響曲全集の多くは、他人の作品に多少手を加えただけの第3番や第37番、そして第2番(父レオポルドの作)は含まれていない。

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2011年11月17日 (木)

本日の練習、ソリスト合わせ

今日のオケの練習は小原孝先生との初顔合わせ。
http://www2.odn.ne.jp/~cau57200/

2011111718300000
曲は「ラプソディー・イン・ブルー」で、今は亡き羽田健太郎先生との共演以来沼響としては2度目の挑戦だ。今回の指揮は曽我大介先生。
今日からサキソフォーンも加わりようやくガーシュウィンらしくなってきた。

小原先生のピアノは羽田先生とはまたタイプの異なるガーシュウィン。

2011111718360000 直ぐ近くで見るとしなやかな腕の動きに美しいピアノの音が印象的だった。
ただしそれだけ沼響の音の濁りが気になるのも事実。
ピアノ合わせは1時間ほどで手際よく終了。

後半はやはりシンフォニックダンスが中心。今日は普段少ないコントラバスもエキストラが入りオケの響きが充実。

曽我先生も終始にこやかで、自然とオケのメンバーもリラックス。

アメリカ音楽の楽しさがようやく見えてきたような気がするが、来週はもう本番だ。

仕事は徐々に多忙となり、来週は本番前日の練習参加が危うくなってきた。

困ったぞ。

Tchaiko5kurz 沼響の聴き比べコラム「チャイコフスキーの5番を聴く」にジークフリート・クルツの演奏の感想をアップしました。
http://www.numakyo.org/cgi-bin/tchai5.cgi

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2011年11月16日 (水)

ボエームの会、鍋シリーズ第1弾、スッポン鍋

秋も深まり日暮れは肌寒いほど、北海道、東北、関東地方までの初雪のニュースも入り冬の到来も近い。

150x150_square_8103763_3 昨晩は定例ボエームの会。場所はいつもの小料理「はちまき」。
これから冬にかけて鍋のシーズン到来、ということで今回の鍋シリーズ第1弾は「スッポン鍋」。

スッポンといえば子供の頃、三島大社の宝物館にかつて大社の池に棲息していたという巨大なスッポンの標本があった・・・・ような気がする。
はっきりしないのは最近は見かけないからで、幼い頃の不確かな記憶では大きなビンの液体の中に立ち姿の巨大なスッポン入れてあり、特徴的なとんがった頭が妙に恐ろしかったと記憶している。

Tsupp5 十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の三島の部分では、弥次さんが宿でスッポンに食いつかれるシーンが出て来る。
かつての三島にはスッポンが沢山棲息していたのではなかろうか。
2011111518100000 2011111518150000 さて、醤油ベースに生姜を加えた汁の中に鎮座しているのはスッポンの甲羅。
これがかなりのインパクトです。
甲羅の先からあのスッポンの頭がニョキっと出て来るかのよう、

肉を食す前に、食前酒として日本酒で割ったスッポンの生血でカンパーイ。
割ったお酒が良いのか臭みもなくなかなかうまいが生の心臓は遠慮しておく。

こんなに精を付けてだいじょうぶだろうか・・・・スッポンの威力で皆だんだんと調子が出てきた。

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スッポンの肉は、脂が少なくコリッとした淡泊な味。スッポン独特の柔らかな甲羅
はコラーゲンたっぷりのようだ。

Rento_400_3  お酒は前回と同じ黒糖焼酎「れんと」その他。

仕上げはスッポンのだしの効いた雑炊、これがまた絶品でした。

体もポカポカとなり高級食材を堪能しました。次回の鍋も楽しみ。

今日は、モリコーネ、ロータの映画音楽作品集。
日本コロンビアから出ているCDで、演奏団体は新イタリア合奏団という名になっている。
「ゴッドファーザー」や「甘い生活」、「ニューシネマパラダイス」などの著名な映画音楽を集めたもの。弦楽合奏が中心だが、曲によってはトランペットも加わる。
00000961696 ロータの弦楽のためのコンチェルトや、モリコーネのアントニオ・ヴィヴァルディのための4つのアナコルーティ(破格構文)のようなクラシカルが曲も入っているが、やはり著名な映画音楽が楽しめる。ただし演奏はあまりうまくない。

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2011年11月13日 (日)

シューマンのヴァイオリン協奏曲(遺作)

暖かな休日。築80年の我が家は老朽甚だしく、今日は水道屋さんを呼び洗面所と風呂場の水漏れ修理。

簡単に終わるつもりが手練れの水道屋さんが始めて見た、と言うほど古い器具で、部品が全くなく新しい蛇口に替えることになって出直し。

洗面所の方は母が嫁に来た時に既にあったとのこと。今まで使えていたということ自体奇跡的。

結局今日は、おとといの晩に自分がつまづいて踏み砕いてしまった浄化槽のポンプの配管修理のみ。

「ライン」を定演で演奏して以来シューマンが面白い。

今日はシューマンの最後のオーケストラ作品となったヴァイオリン協奏曲。

P1010040
シューマンの作日としてはあまり演奏されないが、この曲にはいろいろとミステリアスな話が絡んでいる。
http://classic.music.coocan.jp/concerto/schumann/vc.htm

この曲を作曲した頃のシューマンは精神異常の兆しが現れ、翌1854年にはライン川に身を投げている。
初演するはずだったヨアヒムが結局演奏せずにそのままお蔵入り。
再発見されたのは実に1937年のこと。

今日は初演者のクーレンカンプの曲発見直後の録音で聴く。
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮のベルリンフィルのテレフンケン録音。手持ちはキングレコードから出ていたLP.

名ヴァイオリニスト、ヨアヒムが躊躇したと言われるほど、演奏するには難しそうな曲。
苦労する割には効果的な演奏が至難なシューマンのオーケストラ曲の典型のような曲だ。
夢の中で天使が歌っていた主題から採ったという第二楽章が美しい。

だが曲を楽しめるようになるにはまだ時間がかかかりそうだ。

Toce55443 沼響のHPの聴き比べコラム「ラインを聴く」にクリュイタンスの演奏の感想をアップしました。
http://www.numakyo.org/cgi-bin/rhein.cgi

youtubeはツィンマーマンの弾く、シューマンのヴァイオリン協奏曲第2楽章

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2011年11月12日 (土)

ディスクコンサート、アバドの「復活」

木曜夜からの雨は止み良く晴れた土曜日、身の丈3メートルを超す幹の頂きに咲いた庭の皇帝ダリアの花が青い空に映えている。
http://www.azami.sakura.ne.jp/hana/f1/ka-gyo/kouteidaria.htm

S_pb070752

仕事は大きく放射能の影響に左右され、そのたびに対応が二転三転。
木曜のオケの練習も大幅遅刻。

2011110219330000 トレーナーの和田先生最後の練習となった今週は、未だ完成度の低い「シンフォニックダンス」のみ。熱血タイプの先生の懸命な指導に対していまひとつ反応の鈍いオケ。

だいじょうぶだろうか?練習は本番前日を含めて2回のみ。

仕事の状況が先が見えぬ状況なので、オケの練習終了後に翌金曜日に同じ市民文化センターの視聴覚室でおこなう市主催の「ディスクコンサート」の準備をやっておく。帰宅は10時頃。

昨日は気温も下がり降り続いた雨は夜も止まず、仕事を定時に済ませギリギリのタイミングでディスクコンサート会場となっている市民文化センターに着くと、駐車場は大ホールの催しもので満車状態。

入ることができない。困った。昨晩準備しておいて大正解。

文化センターの事務室に電話して主催者スペースをとも思ったが、空車待ちで並んでいる車の横を割り込んで入るのも気が引けたので、直ぐ近くの知人宅に車を止め歩いて会場へ。

文化センターの職員と簡単な打ち合わせを済ませ、解説の中身を頭の中で反芻する。

51o9sgawdgl__sl500_aa300__2 今回のメインプログラムはマーラーの「復活」全曲。

最後までベートーヴェンの第九にするかどうか迷ったが、今年はマーラー没後100年でもあり、また東日本大震災の復興の願いを込めた選曲とした。

奇しくも11月11日はちょうど震災から八カ月目。震災当日の夜もディスクコンサートの日だった。http://harumochi.cocolog-nifty.com/horn/2011/03/post-5c74.html

会場内では既に常連のお客さんが入っていた。

冷たい雨の中、しかも駐車場の満車に加えて80分を超えるマーラーという選曲で、果たして何人来るか心配だったが、事前申し込みのお客さんのキャンセルはなし、しかも始めて来たという飛び込みの人も多かった。ありがとうございます。

開演の前にいつも軽い曲を会場内に流している。

今回はルチア・ポップの歌うモーツァルトの「ヴェスペレK.339」や「イドメネオ」からのアリア、ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」、「夜は青く」、シューベルトの「アヴェ・マリア」、「カロ・ミオ・ベン」、グリーグの「過ぎた春」、そしてポップが得意としたR.シュトラウスの歌曲の数々までの有名曲を集めたアルバム。

P6030373

スタンバイしている間に流れていた心が洗われるような「アヴェ・マリア」にしみじみと感動してしまいました。

そして「復活」。演奏はアバド指揮ルツェルン音楽祭の2003年ライヴ盤。
第一楽章の後にマーラーの指示とおりに5分間の休憩を入れ実に90分余。

お客さんは年配の方や女性が多いのだが、皆さんまんじりともせず聴いてくださった。
演奏終了後の笑顔も嬉しい、ほとんどの方は「復活」始めて聴いたとのこと。

歌詞の内容と演奏の深さに感動したとの感想も多くいただいた。よかった。
心地よい疲労の中夜遅くに帰宅。

Youtubeはアバドの「復活」

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2011年11月 9日 (水)

20世紀の偉大なるピアニストたち シリーズ全巻制覇

仕事は混沌たる社会情勢と連動し、自分の手の及ばぬ部分でますます難しい状況に。
明日から来週初めまでが大きな山場。


22474503_2 20世紀末に、ユニバーサル・ミュージックが世界の主要レーベルの名ピアニストの名演を集大成し発売した「20世紀の偉大なるピアニストたち」全100巻CD200枚を、本日全て聴き終りました。
http://www.universal-music.co.jp/classics/special/pianists/pianists.htm

20世紀に活躍した主要ピアニストはほとんど網羅され、20世紀のピアノ演奏を俯瞰する空前絶後の大シリーズ。

311gs1j1tcl__sl500_aa300__2 なぜか当時外盤は国内盤の10分の1の価格で出回っておりまして、知人にもだいぶ紹介しました。

購入したのが20世紀最後の年、西暦2000年の暮れのこと。

翌2001年、21世紀の始めの年から「A」で始まる第1巻「アルゲリッチ」を聴き始め、気の向いた時に少しずつ聴き続け、最後の「Z」で終わる第100巻「ツィマーマン」を聴き終るまで11年かかりました。

41jk56shdjl__sl500_aa300_ もう全部聴き通すことはないと思うので、ピアノを勉強中の娘に譲るつもり。

Youtubeは、ツィマーマンの弾くショパンの「舟歌」

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2011年11月 8日 (火)

パレーのデユカスとシャブリエ

今日は立冬、週末からの鼻水、くしゃみの風邪の諸症状は、昨日仕事をしているうちに止まっていた。いささか緊張感に欠ける先週の一週間が体の弛緩を誘っていたらしい。

仕事は放射能の影響が大きく影を落とし、先行き不透明な状態。
今までの仕事の大幅な見直しが必要となりそうな気配。

自転車通勤継続中。

昨晩、仕事帰りに峠の下り坂にさしかかった時、目の前をダダダダダと大きな影が横切った。我に返ると大きなイノシシの後ろ姿がススキの茂る草叢に隠れるところ。
しばらくして先月食った猪鍋を思い出した。
http://harumochi.cocolog-nifty.com/horn/2011/10/post-50b7.html

今日はフランスの名匠、ポール・パレーのシャブリエ、デユカス、ラヴェル。
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仏フェスティバルのLPで、モンテカルロ国立歌劇場のオケを振ったもの。

曲は、シャブリエの「エスパナ」のほか「田園組曲」、デユカスの「魔法使いの弟子」、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」というもの。パレー晩年の録音で、オリジナルは通信販売のレコードクラブ、コンサートホールソサエティへの録音。

とても80過ぎとは思えないエネルギッシュな若々しさが魅力的な演奏。
お洒落で遊び心満載。さらにはお色気までも漂っているのが並みの指揮者とは違うところ。
オケは時々危うい箇所はあるがバラケながらも溌剌としているのが良い。

「エスパナ」の終盤で、インテンポでリズムを刻む弦楽器群に対して微妙に崩しながら吹きまくる木管楽器。開放的に鳴らしまくるブラスもゴキゲンだ。
シャブリエのみを聴くつもりが、あまりの楽しさにLP1枚分聴くことになった。

「魔法使いの弟子」はスコアに手を加えているようで、他の指揮者の演奏から聞こえてこない音が突然聞こえてきて驚かされる。

デユカスと親交があり、譜面には書かれていない奥義を作曲者から伝授されたパレーの貴重な遺産だ。http://www.seikaisei.com/cond/paray/paray_bio.html

P1010033 沼響のHPの聴き比べコラム「ベートーヴェンの7番を聴く」にクリュイタンス指揮ベルリンフィルの第1回録音の感想をアップしました。
http://www.numakyo.org/cgi-bin/beet7.cgi

Youtubeはシャブリエの「エスパナ」ポルトガルのオケ

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2011年11月 6日 (日)

JAZZ喫茶「想苑」と箱館奉行所

曇り時々雨。どうやら風邪をひいたようだ。


青森旅行記その3

翌10月31日は市電の一日乗車券を購入し市内観光。
8年前はレンタカーで大沼周辺が主だったので中心市街地は久しぶりのこと。

まず市電に乗り五稜郭へ。

途中、箱館戦争の激戦地だった千代が岱電停を通過。
この地の中島町の由来となった幕臣中島三郎助親子に思いを寄せる。
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20080516

五稜郭では五稜郭タワーに乗り全体を空中から俯瞰。

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タワー内の展望スペースには、函館戦争時の幕府方の幹部だった写真が数多く展示されていた。

当時函館には写真師田本研造が写真館を開いており、今生の記念にと記念撮影を取ったのだろう。土方歳三の有名な写真もここで撮影されたもの。

S_pa260734 五稜郭の城内を歩くと、かつてなかった箱館奉行所が再建されていた。

古写真や図面、発掘成果を基に建築当時に忠実に再建、昨年完成したばかりだという。
平日ゆえに観光客も少ない。

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余裕で館内を見学する。畳も新しい大広間も興味深い。 誰もいなければ寝ころびたい気分。

五稜郭を後にして、市電で立待岬のある谷地頭一つ手前の青柳町電停で下車。
観光客はほとんど訪れない函館公園を散策の後、目的地のひとつジャズ喫茶「想苑」で休憩。
1958年から続くジャズ喫茶の老舗。

30年ほど前にこの喫茶で流れていたシュナーベルの弾くベートーヴェンの「皇帝」の印象が今でも忘れられない。あの時は品の良いご老人が店主だった。
http://harumochi.cocolog-nifty.com/horn/2006/02/post_c734.html

なぜかあの時はクラシックが流れていたが、今は正統派のジャスがJBLのスピーカーから流れている。

ここも代替わりしていて年月の経過を思う。
今の店主さんにそのようなことを軽く挨拶して辞した後、市電に乗り元町界隈を散策。

Comment_1_2 まずハリストス正聖教会。
http://www.orthodoxjapan.jp/annai/h-hakodate.html
ロシアビザンチン様式の教会。

内部は教会としては比較的狭いながら高い天井、そしてロシア聖歌がひっそりと流れている中で木製の椅子に座り独特のイコンに見入る。

暮れかかった外に出て、旧函館区公会堂の前にある函館市写真歴史館へ。
http://www.hakodate-kankou.com/photo/guide/index.html

お目当ては、日本最古の写真「松前藩石塚官蔵と従者」の現物。

T02200303_0250034410982497938_2 ところがこの写真が日本最古の写真であることが判ったために、重要文化財となった本物は函館市立博物館で保管されているという。

ただ複製が飾ってあった。

なにせ150年以上前の銀板写真なので、完全に風化。表面は灰色の濃淡のみで全く判らない状態だった。

幸い未だ画像が判別可能だった大正期に複製されており、こちらはその横に比較展示されている。

大正期に複製された写真は、ネットや図書館の本で見ることができるが、この風化している状態が見たかったのだ。

そしてすぐ裏手の旧函館区公会堂。
中に入ると若い女の子二人が鹿鳴館時代のような衣装でにこやかに写真を撮っていた。
明治期の洋館を体験するために、ヘアメイク付き2000円ほどで衣装を貸しているらしい。

それを見た家内が「私もやりたい」と言い始めた。
「年を考えたら?」と途中まで言いかけたが止めておく。家内はそのまま階下の受付まで降りて行った。
若い女の子たちにシャッターを頼まれたりしているうちに、家内が現れた。
なぜかそのままの姿。
「どうしたの?」
「やはり止めた」・・・・止めた理由は聞かなかった。

S_pa260739_2

公会堂の2階は広いホール。時々演奏会も開かれているようだ。

そうこうしているうちに日が暮れてきた。
再び市電に乗り函館駅前まで行き駅前通りを松風町付近まで歩く。

夕食は大門横丁の「龍鳳」で函館ラーメン。
http://jovanniblog.blog114.fc2.com/blog-entry-71.html
さっぱりとした塩味だがごく普通の味。

さらに一泊し、翌日12時04分函館発スーパー白鳥から新青森で東北新幹線に乗り継ぎ東京駅で上の娘と合流。

どんより乗り疲れて帰宅は8時過ぎ。

Youtubeは、函館のジャズ喫茶「想苑」の内部

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2011年11月 5日 (土)

青森から函館へ

11月とはいえ暖かな一日、夜から雨。上の娘は一時帰省中。多少風邪気味で、大人しく過ごした休日。

青森旅行記その2  

三内丸山遺跡を後にし、バスで青森市街に到着。ホテルにチェックインをしてそのまま夜の青森の街へ。
娘は団員仲間と新幹線で午後到着し既に練習に入っている。昼食は駅近くで大間のマグロ丼を食べているとのメールが入っていた。(あとで聞いたところ不味かったとのこと)

夕食はネットで評判の良かったホテル近くの「おさない食堂」という庶民風の食堂。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/s2/aomori_osanai.htm外部リンク
メニューは非常に豊富で、各種定食からウナギ、うどんまでやっているようだ。

ここでも海鮮丼。だが沼津港界隈や家の至近距離にある「弥次喜多」で同じようなものを食べているので、さほどの驚きはなし。http://r.gnavi.co.jp/n088200/外部リンク
このお店はホタテが売りらしいと知ったのは、沼津に帰ってからのこと。

しばらく歩き商業施設アスパムへ。http://www.aomori-kanko.or.jp/外部リンク

ここの展望台で青森市街の夜景を見る。
眼下の青森ベイブリッジは貨物輸送が主ということで、車があまり通っていないのと節電で灯りを落としているので地味な雰囲気だ。

このアスパム裏手の小さなホールでは市民コンサート開催中。

2011102918340000

ちょいと覗くとロックバンドがガンガンと絶叫している。
10名ほどのお客。
申し訳ないが、あまりにも自己陶酔的な出演者に辟易し早々に退散。

翌30日はコンクール本番。

聴くのは午前の部のみとし表彰式の後に会場を後にする。

昼食は再び古川市場でのっけ丼。2回目なので市場内のお店をゆっくり見る余裕もできて前日よりも効率が良い品が完成。
ここで充分満足し、青森駅から14時56分発の特急白鳥で一路函館へ。

津軽半島を北上しているうちに雨がパラパラと車窓に降りかかってきた。青函トンネルを経て北海道へ渡ると再び晴れ。
木古内駅の沿線には、2015年新函館駅まで開通予定の新幹線の線路工事中。
北は北海道から南は鹿児島までの日本列島縦断新幹線の開通も近い。

函館着は17時過ぎ。函館は8年前に家族旅行で来て以来だが、函館駅と末広町界隈のベイエリアの近代的な変貌ぶりに驚く。

2011103017510000

9878842_v1320505865 函館駅前から市電に乗り十字街で降車して、洒落た赤煉瓦倉庫群を改造したショッピング街を通り宿の「ラビスタ函館ベイ」へ。
http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/69295/69295.html外部リンク
ここは13階にある温泉から函館の夜景が楽しめ朝食バイキングの評判の良いホテル。

近くの十字街には個性的なカレー屋「小いけ」があったことを思い出し、学生時代に食べた独特の味が懐かしくなり、記憶を頼りに夜の街を歩くと印度カレー「小いけ」本店の看板が見えてきた。
http://jovanniblog.blog114.fc2.com/blog-entry-45.html外部リンク

なんとなく以前と違うような気がしたが、名前がそのままなので入ってみた。

Comment_1 店は町の洋食屋さんといった趣で、カレーは小麦粉を煎って丁寧に作ったちょいと辛め。

外に出てふと路地の横を見ると、そこには同じような看板で元祖 印度カレー「小いけ」というお店があった。???
かつて食べた場所は元祖の方だった気がしてきた。
http://koike.tv/外部リンク

どうやら、先代が亡くなった後にお店が二つに分かれてしまったらしい。レシピは両方ともかつての味とは異なるということだ。時間があれば食べ比べてみたいところ。

宿に帰り13階の温泉露天風呂に浸かる。
海に近いためになめるとかなりの塩味。ナトリウム温泉だが、海水に浸ったようなベタベタ感がなくさっぱりしているのが良い。

Img_1460948_61081593_0_2 

正面にはライトアップされた旧函館区公会堂が見える。明日はあそこに行ってみよう。


だんだん食べ歩きツアーと化してきました。


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2011年11月 3日 (木)

弘前、津軽三味線と三内丸山遺跡

今日は文化の日。未だ長旅の疲れが残り体が重い。

二日休んだツケは大きく、昨日出勤すると机上は書類の山が雪崩状態。
来客も多く、気づくと昼の時間を回っていた。
そして夜は曽我先生の緊張感漂う指導でオケの練習。帰宅は10時ちょっと前。

以下は、青森への旅のコンクール以外の備忘録です。

S_pa240682_3

今回はできるだけ現地の滞在時間を増やすために金曜夜に出発する高速バスを利用することにしました。

金曜、仕事を終え一旦帰宅の後、家内を連れ一路東京へ。
八重洲中央口の遠距離高速バス乗り場は、金曜夜ということでかなりの混雑。
そして22時30分東京発のJR高速バス、ラフォーレ号へ乗車。
http://ameblo.jp/hbv502/entry-10902426928.html

9時間ほど揺られ、青森へは翌29日朝8時ちょうどに到着。

青森は学生時代に幾度か行ったことがあり、当時は青函連絡船の時代。
そのころの青森は幾分地味な港町といった印象だったが、30年ぶりの青森は横浜よりも長いベイブレッジが出きたりと、ウォーターフロント周辺が開発され垢ぬけた雰囲気が漂う港町に変貌していた。大震災の被害も見当たらない。

駅に降り立ち、朝食は古川市場ののっけ丼。http://www.aomori-ichiba.com/
100円でどんぶり一杯のごはんを買い、市場内の魚屋を巡回しながら好みの具を足していくというもの。大間のまぐろの切れっぱしやホタテ、いくら、ウニなどを載せてトータルで千円ちょっとといったところ。

こちらは沼津の住人で新鮮な魚は食べ慣れているとはいえ、栄養塩豊富な親潮から上がったホタテやウニ、いくらなどの美味しさは北国ならではのもの。

この日はレンタカーを借りて十和田方面の紅葉をお目当てにしていたのだが、腹が膨れたところで長時間車を運転する気力が減退。
ちょうど弘前紅葉祭りのポスターが目に入ったので、奥羽本線で弘前へ行くことにした。

S_pa240673_2

弘前ではまず日本商工会議所初代会頭、藤田健一の邸宅である藤田記念庭園に行き、大正時代の広壮な邸宅や将棋の名人戦が行われる茶室を見学。

S_pa240677_2 人工の滝が落ちる総面積6,600坪の広大な敷地も散策。ついでに庭内にある喫茶室でアップルパイを食す。

りんごの本場だけに弘前のアップルパイは著名らしい。
ついでに弘前は珈琲の街だと言うことらしいので珈琲も。
http://www.naritasenzo.co.jp/iinkai/index.html

庭園の道路を挟んだ目の前は桜で著名な弘前城。紅葉祭りは始まっているが紅葉の盛りには多少早いようだ。

S_pa240671

津軽氏が築いた弘前城は、重要文化財となっている天守閣と3つの櫓、5つの巨大な櫓門を擁する司馬遼太郎が絶賛しただけあって見事な近世城郭だ。

本丸から三の丸までさらに付随する郭まで掘と土塁、石垣が実に良く残っている。
実戦を経験した大光寺城の追手門を移築した矢や刀の跡まで残っているという重厚な四の丸北門には、殺気のようなものさえ漂っていた。
http://www.flickr.com/photos/genpi/6211953818/

広大な城跡を散策した次は隣接する津軽藩ねぷた村へ。
http://www.neputamura.com/

ここは観光客相手の食堂や土産物店が集まった観光バスが立ち寄るような場所だが、常時津軽三味線の実演が聴ける場所でもある。
入館料を払い数多の土産物店を潜り抜け、簡素な土間の演奏会場へ。

そこでは既に二人の若い奏者がスタンバイしていた。
お客は我らのほかには弘前大の中国人留学生が10人ほどと、そのガイド役らしき学生数人。

2011102912590000_2   これほどの至近距離での津軽三味線の生演奏は始めて。
奏者は葛西頼之に土田康平という人。二人ともその道のコンクールのチャンピオン経験者らしい。

二人とも若いが小学生の頃から修行を積んだという甘えを許さない真剣勝負の厳しさが漂う表情。
鮮やかな手さばきと、二人の個性がぶつかり合い丁々発止の格闘技のような緊張感漂う見事な演奏だった。

演奏の後には、通常の三味線との奏法の違いや楽器の手入れ方法までを教えてくれた。

そして弘前を後にし、今回の大きな目的の一つ三内丸山遺跡へ向かう。
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
新青森駅から直通バスに乗り遺跡到着はほぼ4時近く。既に日は大きく傾き始めていた。
S_pa240698

バスの客は我々のほかには学生らしきアベックが一組。
立派なミュージーアムは後回しとして、とにかく日が暮れるまでに遺跡を見ておくことにした。

ミュージーアムのトンネルを潜り抜けると、そこは紀元前5500年から1500年の間に栄えた日本最大級の縄文遺跡が広がっていた。
S_pa240694

人もほとんどいない中、ポツンポツンと竪穴住居が点在、日も傾きなにやら霊気にも似たものが漂う凄愴な雰囲気だ。

家内曰く「ここはパワースポットね」

S_pa240700_2 巨大なクリの柱が林立する掘っ立て柱6本の横の復元された大型竪穴住居は、全長実に32メートル。中の広大な空間はあたかも国会議事堂の議場のようだ。
ここは重要な物事を決める集会場ではなかろうか。

外に出て1000年以上の間に捨てられた生活廃棄物が小山のようになっている横には、小さな甕が並ぶ子供たちの墓地。
土器の底近くには魂が出入りしやすいように人工的な穴が開けられていた。

S_pa240702

ミュージーアムの中には、古代縄文人の優れた美的感覚が伺われる土偶や装飾品の数々が展示されている。しかもその大部分は重要文化財。

日が暮れてあたりが暗くなったところで、ミュージーアムは閉館。そのまま宿へ向かう。

youtubeは弘前で聴いた津軽三味線、葛西頼之の演奏

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2011年11月 2日 (水)

全日本吹奏楽コンクール全国大会 職場・一般の部 in 青森

上の娘が所属する川越奏和奏友会吹奏楽団が出演する吹奏楽コンクールの全国大会に行ってきました。
昨年の松山大会に続き、娘が出るという理由にかこつけての年一回の夫婦旅行。
今年は二日ほど休暇をいただき土日を含めての4連休となりました

2011103008300000 今年の全国大会は青森市。
ようこそ吹奏楽コンクールの張り紙が遠慮がちに張ってあった青森駅前の観光案内所。
一般の市民はほとんど関心がない様子。

ホテルのチェックアウトを済ませ、駅前のバスターミナルではコンクール会場の青森市文化会館行きのバス停のみ長い列ができている。
会場に到着すると、路上で出演する団体があちらこちらで楽器を下したりとコンクールならではの光景だ。

2011103013160000
プログラムを見ると一般・職場の部は、午前午後それぞれ13団体の合計26団体が出場。
一般・職場の部とはいえ職場団体からはヤマハ浜松のみ。長い不況が影を落としているのだろうか。

昨年の松山では指定席が会場の前列3番目の左端で、娘の本番の時は前に演奏した団体が使ったピアノが鎮座していて視界の大半を遮り娘の様子は全然見えなかった。
そんなこともあり今年は自由席。

ところが会場に入ると全国大会とはいえ遠隔地の開催のためだろうかお客は非常に少ない。
2階の指定席はわからぬが全て自由席となっている1階はガラガラ。
そのため会場のほぼ真ん中の、通常のコンサートならば最高のS席の位置がゲットできた。

著名な淀工の丸谷先生が紹介する審査員の中には、沼響の金管トレーナーの神代先生の姿が見える。
娘の属する川越奏和は午前の部4番目の出場だ。

指揮の佐藤正人先生は、川越の他に秋田吹奏楽団と福井のソノーレウインドアンサンブルも率いて全国大会に進んでいるのだが、この3団体が午前の部に集中していた。
娘から先生が体調を崩されたことを聞いていたので、先生の負担の大きさが気になった。 川越の前に演奏した秋田吹奏楽団の団員に先生を気遣う心配そうな表情が感じられたのは気のせいだろうか。

前半13団体の演奏では、贔屓の引き倒しではないが難曲「サロメの悲劇」を、柔らかく美しい響きで聴かせ、音楽的にも高いレベルでまとめた川越が課題曲ともに突出していたと思う。

緊張感に満ちた張りのある「コリアン・ダンス」の創価学会関西吹奏楽団、課題曲が良かった浜松交響吹奏楽団が金賞。

最後に登場した東海大高輪高校率いる畠田先生が振る東京隆生吹奏楽団は、オルフの「カルミナブラーナ」。
コントラファゴットとコントラバスクラリネットを加えて低音がっちり固め、コールアングレとフリューゲルホーンのソロ、さらにホルン奏者にアルトホルン持ち替えさせる多彩さで楽しませていただきました。こちらも金賞。
銀賞だったが秋田吹奏楽団のタンドゥンの「天地人」も個人的に好きな演奏だった。

S_pa250728 娘の出場後に外に出て、記念写真撮影中だった川越奏和のホルンパートの人たちにご挨拶。
皆さん初対面なのに古くからの知己のように感じたのが不思議。同じ楽器を吹く仲間ならではのこと。

ヤマハ浜松や玉名女子など、昨年の印象が良かった楽しみな団体が集中していた後半も聴きたかったのだが、夜は函館に宿を取っていたので午前のみとし駅へ向かう。
娘は青森でもう一泊。

全国大会はさすがにどの団体も水準が高く、社会人中心の一般バンドには学生バンドとはまた異なる個性的な味わいがあり、聴いていて飽きることがなかった。
                                                      
来年の全国大会は宇都宮。宇都宮と言えば宇都宮餃子・・・
ところが川越奏和は今年で3年連続全国大会出場のため、規定により来年は吹奏楽コンクールそのものに出場できないという。
                                                        
今回の大会でひとつ非常に気になったこと。フライング拍手とフライングブラボーがあまりにもヒドイ。しかも演奏が進むにつれて次第にあからさまになっていった。
実況録音に自分の声を残したいのだろうか。最後の残響をじっくり聴く余裕がないのだろうか。
愚かな連中である。
長くなったのでその他の報告は次回へ。

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