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2011年11月 3日 (木)

弘前、津軽三味線と三内丸山遺跡

今日は文化の日。未だ長旅の疲れが残り体が重い。

二日休んだツケは大きく、昨日出勤すると机上は書類の山が雪崩状態。
来客も多く、気づくと昼の時間を回っていた。
そして夜は曽我先生の緊張感漂う指導でオケの練習。帰宅は10時ちょっと前。

以下は、青森への旅のコンクール以外の備忘録です。

S_pa240682_3

今回はできるだけ現地の滞在時間を増やすために金曜夜に出発する高速バスを利用することにしました。

金曜、仕事を終え一旦帰宅の後、家内を連れ一路東京へ。
八重洲中央口の遠距離高速バス乗り場は、金曜夜ということでかなりの混雑。
そして22時30分東京発のJR高速バス、ラフォーレ号へ乗車。
http://ameblo.jp/hbv502/entry-10902426928.html

9時間ほど揺られ、青森へは翌29日朝8時ちょうどに到着。

青森は学生時代に幾度か行ったことがあり、当時は青函連絡船の時代。
そのころの青森は幾分地味な港町といった印象だったが、30年ぶりの青森は横浜よりも長いベイブレッジが出きたりと、ウォーターフロント周辺が開発され垢ぬけた雰囲気が漂う港町に変貌していた。大震災の被害も見当たらない。

駅に降り立ち、朝食は古川市場ののっけ丼。http://www.aomori-ichiba.com/
100円でどんぶり一杯のごはんを買い、市場内の魚屋を巡回しながら好みの具を足していくというもの。大間のまぐろの切れっぱしやホタテ、いくら、ウニなどを載せてトータルで千円ちょっとといったところ。

こちらは沼津の住人で新鮮な魚は食べ慣れているとはいえ、栄養塩豊富な親潮から上がったホタテやウニ、いくらなどの美味しさは北国ならではのもの。

この日はレンタカーを借りて十和田方面の紅葉をお目当てにしていたのだが、腹が膨れたところで長時間車を運転する気力が減退。
ちょうど弘前紅葉祭りのポスターが目に入ったので、奥羽本線で弘前へ行くことにした。

S_pa240673_2

弘前ではまず日本商工会議所初代会頭、藤田健一の邸宅である藤田記念庭園に行き、大正時代の広壮な邸宅や将棋の名人戦が行われる茶室を見学。

S_pa240677_2 人工の滝が落ちる総面積6,600坪の広大な敷地も散策。ついでに庭内にある喫茶室でアップルパイを食す。

りんごの本場だけに弘前のアップルパイは著名らしい。
ついでに弘前は珈琲の街だと言うことらしいので珈琲も。
http://www.naritasenzo.co.jp/iinkai/index.html

庭園の道路を挟んだ目の前は桜で著名な弘前城。紅葉祭りは始まっているが紅葉の盛りには多少早いようだ。

S_pa240671

津軽氏が築いた弘前城は、重要文化財となっている天守閣と3つの櫓、5つの巨大な櫓門を擁する司馬遼太郎が絶賛しただけあって見事な近世城郭だ。

本丸から三の丸までさらに付随する郭まで掘と土塁、石垣が実に良く残っている。
実戦を経験した大光寺城の追手門を移築した矢や刀の跡まで残っているという重厚な四の丸北門には、殺気のようなものさえ漂っていた。
http://www.flickr.com/photos/genpi/6211953818/

広大な城跡を散策した次は隣接する津軽藩ねぷた村へ。
http://www.neputamura.com/

ここは観光客相手の食堂や土産物店が集まった観光バスが立ち寄るような場所だが、常時津軽三味線の実演が聴ける場所でもある。
入館料を払い数多の土産物店を潜り抜け、簡素な土間の演奏会場へ。

そこでは既に二人の若い奏者がスタンバイしていた。
お客は我らのほかには弘前大の中国人留学生が10人ほどと、そのガイド役らしき学生数人。

2011102912590000_2   これほどの至近距離での津軽三味線の生演奏は始めて。
奏者は葛西頼之に土田康平という人。二人ともその道のコンクールのチャンピオン経験者らしい。

二人とも若いが小学生の頃から修行を積んだという甘えを許さない真剣勝負の厳しさが漂う表情。
鮮やかな手さばきと、二人の個性がぶつかり合い丁々発止の格闘技のような緊張感漂う見事な演奏だった。

演奏の後には、通常の三味線との奏法の違いや楽器の手入れ方法までを教えてくれた。

そして弘前を後にし、今回の大きな目的の一つ三内丸山遺跡へ向かう。
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
新青森駅から直通バスに乗り遺跡到着はほぼ4時近く。既に日は大きく傾き始めていた。
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バスの客は我々のほかには学生らしきアベックが一組。
立派なミュージーアムは後回しとして、とにかく日が暮れるまでに遺跡を見ておくことにした。

ミュージーアムのトンネルを潜り抜けると、そこは紀元前5500年から1500年の間に栄えた日本最大級の縄文遺跡が広がっていた。
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人もほとんどいない中、ポツンポツンと竪穴住居が点在、日も傾きなにやら霊気にも似たものが漂う凄愴な雰囲気だ。

家内曰く「ここはパワースポットね」

S_pa240700_2 巨大なクリの柱が林立する掘っ立て柱6本の横の復元された大型竪穴住居は、全長実に32メートル。中の広大な空間はあたかも国会議事堂の議場のようだ。
ここは重要な物事を決める集会場ではなかろうか。

外に出て1000年以上の間に捨てられた生活廃棄物が小山のようになっている横には、小さな甕が並ぶ子供たちの墓地。
土器の底近くには魂が出入りしやすいように人工的な穴が開けられていた。

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ミュージーアムの中には、古代縄文人の優れた美的感覚が伺われる土偶や装飾品の数々が展示されている。しかもその大部分は重要文化財。

日が暮れてあたりが暗くなったところで、ミュージーアムは閉館。そのまま宿へ向かう。

youtubeは弘前で聴いた津軽三味線、葛西頼之の演奏

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