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2012年5月 9日 (水)

チェリスト 宮田大

曇り一時雨。

今日は組織No.2その他幹部を前に今年度の事業説明。

今の部署に来て一カ月余り。鋭い突っ込みにしばしの絶句。

我、いまだ木鶏たりえず。

http://www.geocities.jp/tsuzanweb/matsuo-25.htm

日曜にBS朝日で放送され録画しておいた音楽ドキュメント「小沢征爾さんと音楽で語った日~チェリスト 宮田大 25歳」を観た。

K_img_render1_2

3月に放送されたものの再放送だという。

http://www.bs-asahi.co.jp/ozawa_miyata/content.html

若手チェリスト宮田大は、海瀬京子さんが一位となった2005年日本音楽コンクールのチェロ部門での一位受賞者。

彼の存在は海瀬さんのお父様からコンクール直後の早いうちから伺っていた。

そのうち沼響と共演できたらいいなぁと思っているうちに、彼はロストロポーヴィッチ国際コンクールに優勝したり、出光音楽賞を受賞したりと、たちまちビッグになってしまった。

ドキュメンタリーは、今年1月の水戸室内管弦楽団での演奏会に出演する宮田大と指揮する小沢征爾とのリハーサルから本番までの音楽ドキュメンタリー。

普通にありがちなドキュメンタリーだが、ここ数年体調を崩し、通常の指揮活動がままならない小沢征爾が若い宮田に音楽の真髄を教え込もうとする気迫と熱意の凄さ、そして二日目の小沢征爾が本番の指揮台に立つことができなかったコンサートの雰囲気を捉えたことで、尋常でない内容となっていた。

小沢征爾のまさに身を削るようなリハーサルに、十分に受け取ることができずに苦悩する育ちの良い宮田。もう体力の限界を超えている状態にもかかわらず懸命のリハーサルをつける小沢の姿には鬼気迫るものがあった。心配する周囲の人たち。

リハーサルの無理がたたり初日の19日のコンサートは無事に終えたものの、翌20日の本番の指揮台にとうとう小沢征爾は立つことができなかった。

奇しくもその20日のコンサートがこの番組のクライマックスとなった。

会場に集まった聴衆に対して係員が、小沢征爾が指揮できなくなったことを告げると、会場内からは怒号が沸きおこり、さらなる説明を求める声で収拾がつかなくなってしまった。

その時、客席にいた水戸芸術会館の館長である音楽評論家の大御所吉田秀和さん(98歳!)が立ち上がり、静かに聴衆に向かって話し始めた。

その日の小沢征爾の体調、水戸室内管のメンバーの演奏会にかける熱意、そして「退席されるのも仕方がない、それでも聞こうと思われる方はぜひ残って聞いていただきたい」

との言葉に、ぴたりと騒ぎの収まった会場からは静かな拍手が沸きあがる。

凄い場面だった。

控え室では指揮者なしで演奏することになった宮田大の姿も映されていた。

さぞや大きなプレッシャーだったろう。

そして本番、曲はハイドンのチェロ協奏曲。

指揮台の位置で小沢の熱意を受け止めながら懸命に自分の音楽を奏でる宮田大、それを支える水戸室内管の人たち、ヴァイオリンの潮田益子や安芸晶子らいわば小沢征爾の若い頃からの同窓生たちの真剣な表情も印象深かった。

沼響のHPの聴き比べコラム「ブラームスの2番を聴く」に録音史をアップしました。

http://www.numakyo.org/cgi-bin/bra2.cgi

Youtubeは宮田大の録音風景

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