松坂、御城番屋敷
曇り午後から雨、ここ数日乾燥気味だったが、これで多少インフルエンザの流行に歯止めがかかるかもしれない。
隣のセクションで既に数日前から発病2名。本日新たに2名出勤停止追加。
火曜日は出張で鳥羽に行っていた。
電車の乗り継ぎ時間を含めておよそ5時間の行程。
昨年の3月にも来ているので2度目の訪問。
隣のセクションで既に数日前から発病2名。本日新たに2名出勤停止追加。
火曜日は出張で鳥羽に行っていた。

昨年の3月にも来ているので2度目の訪問。
ちょうど昼時に到着し昨年と同じ店に入ろうとしたら満席だった。
伊勢神宮の式年遷宮の影響からか平日とはいえ多少観光客が増えた印象。
地元観光関係者に聞いたところ前年比60万人の観光客増だとのこと。
20年毎に巡ってくる神宮バブルということだろうか。
仕事が思いのほか長引いてしまい、当初日帰りの予定だったが、帰路途中の松阪に泊まることにした。
宿は駅前の東横イン。
あいにく喫煙室しか空いていなかったが、さほどタバコ臭がしなかったのが救い。
松阪は初めての訪問。

せっかくなので本場の松阪牛をということでネットで探した有名店に辿り着くと、本日売り切れで早めに閉めましたの張り紙でがっくり。

時は夜の8時近く。
伊勢神宮の式年遷宮の影響からか平日とはいえ多少観光客が増えた印象。
地元観光関係者に聞いたところ前年比60万人の観光客増だとのこと。
20年毎に巡ってくる神宮バブルということだろうか。
仕事が思いのほか長引いてしまい、当初日帰りの予定だったが、帰路途中の松阪に泊まることにした。
宿は駅前の東横イン。
あいにく喫煙室しか空いていなかったが、さほどタバコ臭がしなかったのが救い。
松阪は初めての訪問。

せっかくなので本場の松阪牛をということでネットで探した有名店に辿り着くと、本日売り切れで早めに閉めましたの張り紙でがっくり。


平日の駅前通りはシャッター通りと化している。
ホテル前に焼肉の看板を掲げた居酒屋のようなお店もあったが、外から見ると誰も客がいないので、目に入った大衆割烹チェーン店の「庄や」に入ることにした。
ホテル前に焼肉の看板を掲げた居酒屋のようなお店もあったが、外から見ると誰も客がいないので、目に入った大衆割烹チェーン店の「庄や」に入ることにした。
メニューを見ると、地元ならではの伊勢の郷土料理もあり、松坂牛もあったので単品と、つまみに「ふかたれ」などエトセトラ、くじらもあったが売りきれだとのこと。
最後の〆は「伊勢うどん」.
そこそこ松坂のエッセンスに触れた気分になり宿に帰り早めに就寝。
翌水曜は午後の早い時間までに沼津に帰らねばならなかったので、ちょいと早起きして松阪城へ行ってみた。
駅前の中心街を通り抜け歩くこと20分弱。
高くそびえる石垣群が、往時は立派な名城であったことを彷彿させる。
ここでのお目当ては御城番長屋と本居宣長記念館。
記念館は閉まっていたので、先に御城番長屋に行くことにした。
今もここに住むのは徳川家康直轄の精強騎馬部隊の横須賀組の子孫たち。

家康の10男頼宣が御三家となって紀州入りする時に、家康から「この者共秘蔵につき一人も散らすな」の命令を受け、今に至るもなお11件の子孫たちが城を守るかのように江戸時代からの長屋に住んでいる。
翌水曜は午後の早い時間までに沼津に帰らねばならなかったので、ちょいと早起きして松阪城へ行ってみた。
駅前の中心街を通り抜け歩くこと20分弱。

ここでのお目当ては御城番長屋と本居宣長記念館。
記念館は閉まっていたので、先に御城番長屋に行くことにした。
今もここに住むのは徳川家康直轄の精強騎馬部隊の横須賀組の子孫たち。

家康の10男頼宣が御三家となって紀州入りする時に、家康から「この者共秘蔵につき一人も散らすな」の命令を受け、今に至るもなお11件の子孫たちが城を守るかのように江戸時代からの長屋に住んでいる。
誰もいないので、上り込んでゴロンと畳の上に寝そべりたい欲求をぐっとこらえて記念館へ。
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