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2014年6月23日 (月)

マーラーの交響曲第10番

雨の日曜日は充分に休養、明けて週の始まりは爽やかな晴れ模様。
夏が近づき午後から熱くなってきた。
本日特に大きな会議もなく今週末の監査の準備で一日が終わる。

昨日は早朝覚醒、外から美しい鳥のさえずりが聞こえていた。
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娘が「カワセミだ!」と声を上げた。
見ると隣の家の屋根に、蒼と赤茶色の鳥1羽と、茶色の見慣れぬ鳥が2羽。
カワセミと間違うほどブルーが鮮やかに見えたが、明らかに違う野鳥だ。

野鳥に詳しい友人の話によるとイソヒヨドリだという。
茶色が雌で鮮やかな方が雄。海辺に生息する野鳥らしい。じっとこちらを見ていた。

昨日の午前中は家内と、駅前の老舗寝具店「わたやす」へクッションを買いに行っていた。

音楽はマーラー未完の交響曲、第10番。

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演奏はオーマンディ指揮フィラデルフィア管によるクック第2稿と、ザンデルリンク指揮ベルリン響によるクック第3稿第1版。

マーラーの交響曲第10番は未完ということもあり、自分としてはマーラーの作品の中では、最もなじみの薄い曲だった。

最初に聴いたのは高校生の時、テレビで放送されていたハイティンク指揮コンセルトヘボウ管の来日公演の第1楽章「アダージョ」だった。
この時はトランペット奏者が、やたら高い音を長く伸ばしていた場面しか印象にない。

音盤で聴いた最初の演奏は、セル指揮クリーヴランド管のアダージョとプルガトリオの2つの楽章によるクシェネック補筆版。マーラーの交響曲第6番とのカップリングだった。

これは今でもレコード棚にあるものの印象に残っていない。

とにかく第10番は未完という思い込みに加えて、マーラーの作品の中で第9番以前の曲とはまた別種の宇宙的な広がりを持つ曲になるはずが、未完となり結局つかみどころのない曲のままになってしまった、というイメージが自分の頭の中で勝手に広がっていた。

そんな中でのオーマンディの演奏。1967年のクック第2稿初演直後の録音、

これは3年ほど前に、ヤフオクで大地の歌とのカップリングの米盤LP3枚組を300円で購入したものだが、こちらも聴いた記憶がない。

フィラデルフィア管の美しい弦楽器の音が心地よく響き、非常にわかりやすい演奏だっ腹に響く。
全曲LP2枚組を聴いていて、よくぞクックさん、曲を完成させてくれたと感謝の念が起きるほど。

録音も非常に良くて、フィナーレの大太鼓の重くドッシーン!とした音が大きなインパクトを持って腹に響く。

ここで調子に乗ってザンデルリンク指揮のクック第3稿の演奏を聴く。
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ドイツシャルプラッテンへの録音で、徳間音工が1000円で出して評判になったCDのシリーズ。

こちらはびっしり目の詰まった厳しい演奏。この曲の持つ未来性と、ある種の危うさを白夜的な美しさを伴いながら演奏している。これはこれで良いと思う。
フィナーレの大太鼓は短くドシン!!
オーマンディの第2稿とは異なる音。

「巨人」を実際に演奏し、マーラーの楽譜をいろいろと眺めているうちに、交響曲第10番の世界が突然見えるようになってきた。

不思議なものだ。


Youtubeはマーラーの交響曲第10番フィナーレ、ノセダの指揮

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