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2015年12月30日 (水)

映画「杉原千畝」

今年の冬は暖かい。年末休みも今日で二日目。

今年の年末年始は休みが短いものの、直前の土日にある程度の事は済ませておいたので気分的に余裕の年の末。

朝は畑のネーブルを採っていた。

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暖かな日が続いたので粒は大きめだ。


愛犬ポコは柑橘系が苦手。
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ちょっと齧って古いガウンにもぐりこんでしまった。


そのあとは掃除やら神棚の掃除と正月飾り。

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新しい方の神棚の中には作った当時の書き物が入っている。

慶応2年、ちょうど今から150年前のもの。

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黒光りした古い方の神棚はいつのものかは見当がつかない。

奥には茶色く変色した江戸中期頃の伊勢神宮のお札がびっしり詰まっていた。



昨日は家内と映画「杉原千畝」を観てきた。


場所は「ジョイランド三島」。

映画館を見に行くのは久しぶり。

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1800円は高いよな、と思って自動券売機で2枚買い、シアターに入ると家内が受付でよこしたパンフレットを見て、「これ見て!」と指差している。


そこには夫婦割引二人で2000円の文字が・・・・
「あ!損した」
「言ってきなさいよ」と家内。

とはいえもう上映は始まっている。

渋い映画なので、お客はかなりお年を召したご夫婦と子連れの家族連れに中年の男性一人の10人ほどだった。


杉原千畝はユダヤ人を救ったヴィザの発給で有名だが、外務省を追われた一時期、沼津に家族で移り住んでいた。

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その頃の杉原家の居住地は自分の家のご近所らしいのだが、そのような偉い人が住んでいたことは何も伝わっていない。


杉原千畝の功績が知られ始めた頃に、奥様を沼津に招いて講演をしていただいたこともあった。


この映画では杉原千畝の大戦突入前の情報将校的な外交官としての活躍を見事に描きだしていた。

ソ連やゲシュタポから要注意人物としてマークされていた事実と、関係する人達の人間模様の面白さ。

セリフのひとつひとつに深い意味があり、千畝がリトアニアに赴任して初めての居酒屋でお勧めの飲み物を聞いたとき、後に千畝と深いかかわりを持つポーランドからの亡命者が横から「ミード(はちみつ)酒だ」と声をかけていた。

04701_l_2 「ミード酒」はポーランドで好んで飲まれている酒。

その後千畝がその男の素性をポーランドからの亡命者であることを当てるところなど、説明はなかったもののなかなか細かい。


オール海外ロケ、セットも豪華で相当お金がかかっている感じだ。

ユダヤ人のエキストラも数多く、演技の真剣さがスクリーンを通じて胸を打つ。

非常に重いテーマを取り上げながらも感動的な映画だった。

映画が終わってから受け付けの人に夫婦割のことを伝えたところ、差額を返金してくれました。

次は「海難1890」を家内と見に行くことにしよう。

映画の帰りは「赤から」で遅めの昼食。


焼肉バイキング食べ放題ランチに滑り込みセーフ。

その後正月の買い出しをして帰宅。

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