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2016年1月12日 (火)

映画「海難1890」

正月気分に引き戻されたかのような三連休が終わり、週の初めから本格的なスパート。

東京で初雪を観測。 今日は多少冷えたが真冬の寒さとは程遠い朝。
終日曇天。夕方わずかな雨。


今日は来年度へ向けて各部門の責任者からの人員配置のヒアリング。


連休初日の土曜日に家内と映画「海難1890」を見た。


日本とトルコとの間の、2つの歴史的なエピソードを扱ったもの。

トルコは親日感情の非常に強い国。

現職のトルコ大統領が映画の冒頭で謝辞を述べていたのには驚いた。

1890年、トルコ帝国からの親善のため日本に派遣された軍艦エルトゥールル号が和歌山沖で難破し、死者行方不明者500名以上という大惨事となった。

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この遭難に遭遇した和歌山県大島の、日々の生活がやっとという貧しい村民たちのまさに命を投げ打った懸命な救命活動と献身的な看護活動は知る人ぞ知る歴史的事実で、大部分の日本人は知らないのではないかと思う。



一方のトルコでは、この事件は小学生の教科書に載るほど長く語り継がれている。 今でも国民の多くが知っている話だという。


自分は10年ほど前に放送されたNHKの歴史番組で初めて知った。 


その後1985年のイランイラク戦争でサダム・フセインがイラン上空を通過する飛行機は軍用機、民間機を問わずに撃墜すると宣言し、各国が直ちに自国民救出のために特別機を出した時に、日本が飛行機を出さなかったこともその時初めて知った。


日航は飛行の安全が保障されないからという組合の意向が強く、自衛隊は国会の承認なしには派遣できないという理由だったという。




そのような危険のある中で、トルコは取り残された日本人のために特別機を出した。


未だイラン国内には救援機を待つトルコ国民が多数残る中で日本人を優先させ、残るトルコ人たちは陸路で脱出させたのだという。


NHKの番組では、その時救出された人が回想しながら号泣していたのが印象的だった。


駐日トルコ大使の「エルトゥールル号の恩を我々は忘れていない」という言葉も泣かせる。

「海難1890」はその2つのエピソードを描いた映画だった。

映画館内は閑散としていたけれど、あちこちから啜り泣きの声が聞こえるほど感動的だった。

この歴史的事実を多くの日本人に知って欲しいと思った。

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