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2016年2月 9日 (火)

ボッティチェリ展、 東京都美術館

晴れ、冷たい強風の吹いた1日。

今日は来週から始まる年度最終の大きな会議の準備その他。


先週、東京へ行ったついでに東京都美術館で開催中の「ボッティチェリ展」に行ってみた。

上野公園には中国からの観光客らしき人々が多数。
あちらこちらで中国語が飛び交っていた。

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展示はボッティチェリの作品のほか、師のフィリッポ・リッピやフィリッポの息子にしてボッティチェリの弟弟子のフィリッピーノ・リッピの作品。


さらに若き日のボッティチェリがダ・ヴィンチと一緒に学んだヴェロッキオの作品も合わせて展示した、いわば15世紀フィレンツェにおける絵画表現の系譜をたどったもの。


ボッティチェリは本名でなく、大食いで大酒のみだった兄がボッティチェロ(小さな樽)と呼ばれていて、その弟ということでボッティチェリとなったのだという。

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いずれの作品も数百年を経ていても色彩は鮮やか。

使用している絵具がよほど良いものなのだろう。



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傑作の誉れの高い《聖母子(書物の聖母)》の繊細な表現や、時の権力者たちの肖像群のリアルな描写には強さと紙一重の傲慢さも感じさせるところが凄い。

 





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15世紀フィレンツェの最大の美人と言われた《美しきシモネッタの肖像》の横顔は、そのままこちらを振り返って微笑むのではないかと錯覚するほど真実味を帯びていた。



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宗教画の中の聖母マリアや、神話の世界に理想的な女性の姿を描いた初期の柔らかで明るい作品が晩年になるにつれて陰影の濃い暗い作品に変貌していく。



ボッティチェリと関係の深いリッピ親子の存在はこの展覧会で初めて知った。


師匠の息子にして弟弟子のフィリッピーノ・リッピが最初ボッティチェリの弟子のような立ち位置からしだいに個性に目覚め、やがてライバルとなっていく過程が作品から見えてくるのも面白い。

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フィリッピーノ晩年の作『マグダラのマリア』などはボッティチェリ以上のインパクトがあり、これは新たな発見だった。

フィリッピーノ・リッピについてもっと知りたくなってきた。



ボッティチェリといえば明るく華やかな「ヴィーナス誕生」の印象が強く、同時代のダ・ヴィンチやミケランジョロの巨大さに比べ軽い感じがして、さほど興味のある画家でもなかったが実物を見て自分の認識不足を痛感。


音楽が実演を聴くと印象が一変するのと同じように、美術品も図録や複製画では真実は伝わらないようだ。



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今日はレスピーキの組曲「ボッティチェリの三枚の絵」を聴いていた。

ナヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管の演奏で。

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