第10回ショパンコンクールの記録
3月最初の土曜日の最高気温は19度。雲がちとはいえ暖房のいらない1日。
午後から仕事で会合がひとつ。
2月23日は富士山の日だったということで、会場の図書館のイベントホールでは写真家和田賢一氏の撮った美しい富士山の写真が展示されていた。
ちょうど和田氏が来ていてレクチャーの最中。
美しい写真はさすがにプロのお仕事。
1枚1枚に物語を想像させるような見事なもの。
帰宅途中リサイクルショップに寄りジャンクの出物LPを数枚購入。
帰宅してからは、1980年、第10回ショパンコンクールの記録を聴いていた。
CBSから出ていたLP4枚組。
第10回ショパンコンクールといえば、あのポゴレリッチが出場し、本選に選出されなかったことにアルゲリッチが抗議して審査員を降りていることで知られる。
この時の第1位はダン・タイソン。
日本の海老彰子が4位なしの第5位に入賞している。
4枚のLPの内訳は、1位のダン・タイソン、2位のショバンノワ、第5位の海老彰子がそれぞれ1枚ずつ本選で弾いたコンチェルトに加えて予選から数曲を収録。
残りの1枚はイーヴォ・ポゴレリッチの予選からセレクトされた演奏という日本向けの選曲。
解説書が非常に充実していて、コンクールの歴史の他、実際にコンクールを聴いた音楽評論の大家野村光一のポゴレリッチを含んだ出場者の感想に始まり、審査員として参加した安川加寿子の感想、他の審査員たちと上位入賞者のコメント。
中でもコンクールを全て聞いたポーランド・インタープレス誌のAnna Suruzonの審査経過が非常に面白い。
そこには2次予選以降の全出演者名とコメントが書かれている。
この解説で、ポゴレリッチ絡みで審査員を辞退したのはアルゲリッチだけでなく、もう一人いたことを初めて知った。
その人はルイス・ケントナー。
この人も名の知られたピアニストで、シューベルトの演奏が手元にもある。
ところがケントナーが辞任した理由がポゴレリッチを高く評価した結果ではなく、彼が1次予選を通過したことに対してだという。
もっともこの時出場したケントナーの弟子4人が揃って1次予選で落ちたことも理由のひとつだったらしいが・・・・・
この第10回ショパンコンクールは、後のショパンコンクールの方向を決める分岐点的な年であったように思う。
日本や中国、台湾などアジアからの出場者の数も多かったのも象徴的で、結局優勝したのはベトナム人のダン・タイソン。
伝統的なスタイルのショパン演奏を尊重していくか、それとも従来のスタイルに固執せず新たなショパン演奏の可能性を探っていくか・・・
ダン・タイソンの演奏にはどちらかというと保守的な印象を持った。
落ち着いていて繊細にしてしっとりとした抒情。
コンチェルトが終わった後には観客のブラボーの嵐。
2位のシェバノワとは非常に僅差で、順位が入れ替わっても不自然ではないと思う。
野村光一氏はシェバノワの方を高く評価していた。
安定し老成していたショバノワの演奏よりも、ダン・タイソンの将来性を審査員が買ったのかもしれない。
ポゴレリッチは確かに個性的だが、今の耳で聴くとさほど革新的だとは思わない。
他のピアニストと異なるのは、特異な個性がすでに確立していることと、ショパンからかなり距離を置いている印象。
これならなにもショパンを弾かなくても良いかな・・・
自分としては、同胞としての贔屓を差し引いても5位の海老彰子の演奏が最も良かった。
解説によると、本選では演奏が止まってしまうというアクシデントがあったそうだが、おそらくそれがなければ3位以内に食い込んだ内容だと思う。
(このLPではそのあたりは編集されている)
多少荒削りな中に清潔な抒情が漂い良い演奏だった。
予選出演者の顔ぶれが非常に面白い。
ブーニンが登場した年に入賞したフランス人のルイサダの名が見える。
彼は2次予選で姿を消していた。
3次予選には今や大家となったアンジェラ・ヒューイットの名があるし、ケヴィン・ケナー、ポブロッカなどの名が見える。
審査員も豪華だった。
アルゲリッチ、ケントナーのほかには、スコダ、マガロフ、ユージン・リスト、安川加寿子、ステファンスカ、ドレンスキーなど26名。
Youtubeはポレリッチの弾くラヴェルの「スカルボ」
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コメント
第10回ショパンコンクールの後、NHKの「音楽時評」で野村光一がダンタイソンの第1位の結果に反発して、「あんなオランウータンみたいな‥」と差別的言辞を口にしたのを今でもはっきり覚えています。
投稿: 賀瀬野似非朗 | 2018年6月 8日 (金) 09時32分
賀瀬野似非朗さん、コメントありがとうございます。
あのころの音楽評論の大御所だった野村光一さんも、今思うと古い感覚の人だったなぁと思います。
投稿: 山本晴望 | 2018年6月 8日 (金) 20時58分