マルティノンとチッコリーニのラヴェル
今日も晴れた。
異動が決まり、その日を境に今までの仕事が対岸の出来事のように思えてきた。
池宮彰一郎さんの小説「平家」読了。
完結した小説としては氏の最後の作品だ。

長く続いた律令体制も藤原氏の官僚体制が腐敗の極に達し、国として成り立たなくなっていた時代。
古代から中世への幕開けを切り開いた平清盛の事績にスポットを当てた長編小説。
盤石の体制と思われた藤原氏との葛藤、そして後白河院との心理的な対決が活写されたいわば政治小説のような内容だった。
清盛の死後、小説の主軸は後白河院と源頼朝との対立に移る。
清盛の偉業を継ぐだけの見識も力量もない平家は、彗星の如く現れた源義経の天才的な軍略により滅亡への道へ。
そして後白河院は、義経を清盛の精神的な後継者として頼朝への対抗馬として押し立てていく。
ここでの後白河院の存在は、最初悪玉だったザラストロがいつのまにか良い人になっていたモーツァルトの「魔笛」ようだ。
池宮彰一郎さんは沼津育ちということもあり、晩年に仕事で一度お会いしてお話を伺ったことがあった。
忠臣蔵のことを書くには「最低読まなければならない本が千冊ほどあるんだよ」と話されていたことが印象に残っている。
今日はここのところ続けて聴いていたラヴェルの左手のための協奏曲。
マルティノンがパリ管を振った管弦楽曲全集から、チッコリーニのソロによる録音。
手持ちは英EMIのCDBOXセットと国内盤LP5枚組。

これは1975年のラヴェル生誕100年に合わせた発売だったと記憶している。 録音は1974年で、フランス国立放送管を振ったドビュッシーの全集に引き続いて録音された。
この時期クリュイタンス、ミュンシュの二大巨頭既になく、EMIに録音していたフランス系の指揮者といえば、ほかにはプレートル、デルヴォー、ボドあたりだった。
ここでのマルティノンの選択は順当だったのかもしれないが、ドビュッシーはともかく、ラヴェルの全集は、同時期にEMIへオッフェンバックの録音をしていたラヴェルの直弟子ロザンタールを起用して欲しかった。
チッコリーニとの協奏曲は、フェヴリエやカサドシュの演奏と異なり、オケとがっぷり4つに組んだ強靭な打鍵でスケール感のある演奏。
優れた演奏ではあると思うものの、時として力が入りすぎて曲と懸命に格闘しているようにも感じられる。
それが特にト長調の協奏曲で顕著。
サティやドビュッシーではセンスの良い演奏をしていたチッコリーニだが、 ラヴェルになると音楽がチッコリーニと相性はあまりよくないようにも思う。
チッコリーニではCD56枚組のEMI録音集も出ているけれど、この中でラヴェルの独奏曲録音はない。
ラヴェルのピアノ協奏曲ではト長調のミケランジェリは別格として、モニク・アースのピアノ、ポール・パレー指揮フランス国立放送管との演奏が刷り込み。
と
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