仕事始め、そしてプレートルのことなど
今年の正月休み中は穏やかな天気続きだった。
1月3日の午後、退院後初めて車を運転して牛臥山公園へ行きそぞろ歩き。
正月の午後を静かに過ごそうとする大勢の人が来ていて駐車場もほぼ満車。
海辺にはスタンドアップパドルボードやパラグライダーで遊ぶ人々。
ついでに近くの大朝神社に初お参り。
社のすぐ横に小さな祠で木の宮神社が祀られていた。
この場所から2キロほど東に楊原神社という古社があり、さらに1キロほど東に木の宮という地名があって幼い頃そこに住んでいた。
往古その場所にも古い神社があったが戦国の世に武田と北条との大きな戦いで楊原神社とともに焼失したとの伝承がある。
こんな外れの場所に小さくひっそりと祀られていたとは・・・・・。
そして昨日職場復帰。
わが社の仕事始めは4日で、実は5日まで休暇を出していたものの、待ちきれなくなって出社することに。
部門長と関係部署への挨拶の後にオフィスに戻ると机上は書類の山。
緊急案件については入院中に報告を受け、指示を出していたが3週間のブランクは大きかった。
入院中の報告を受けた後溜まった書類に目を通すものの、年末年始が絡むとはいえ3週間の長いブランクに頭が正常に働かない。
入院前の出来事で忘却していることも多いようだ。
全身麻酔の影響なんだろうか?
オペの終わった直後から数日の記憶がほとんど残っていない。
退院後最初の外来受診も入っていたので区切りの良いところで早退させていただいた。
病院での診察の結果、経過は良好。
オペ後の痛みはまだ多少残っているものの2か月ほどは影響が残るのだという。
ホルンを吹くことも解禁となった。
指揮者ジョルジュ・プレートルの訃報が入ってきた。92歳。
同世代のフランス系の長老指揮者でフレモー、ボドらが最近活動のニュースが入らなくなっている中、プレートルはウィーンフィルのニューイヤーコンサートに登場したりと、 晩年はフランスものに限らず幅広いレパートリーで活躍し知名度も上がっていた。
プレートルの録音で最初に印象に残っているのはEMIへのサン・サーンスの交響曲第3番。
名オルガニストにして作曲家のデュリュフレのオルガンにオケはパリ音楽院管によるもの。
残響豊かな録音にプレートルのパンチの利いた解釈、オケのカラフルな音色で非常に楽しめる演奏だった。
そして定評のあるプーランクの演奏の数々。
70年代後半に東芝EMIが出していた「フランスのエスプリ」シリーズの第1回発売がプレートル指揮の一連のプーランクの録音だった。
生き生きとしたリズム感に洒落た息使いのメロディライン、まさにフランスのエスプリ満載の曲と演奏に痺れてこのシリーズを1枚1枚コツコツと集めていったのも懐かしい思い出だ。
実演では1998年のパリ管との来日公演を聴いた。
場所は富士市のロゼシアター。
曲は「展覧会の絵」、「海」に「ボレロ」というこの組み合わせで聴く最高のプログラム。
アンコールは確か2曲。
1曲は「ファランドール」であったのを覚えているが、あとの1曲がどうしても思い出せない。「カルメン」前奏曲だったかもしれない。
客席も大いに沸いていて、プレートルが聴衆を巻き込んでいくエンターティナー的な大きな魅力のある指揮者であることはよくわかった。
だが期待が大きかったためかあまり良い印象が残っていない。
それぞれの曲の繊細な描き分けが見事に音になっている部分があるかと思えば、「海」のように大雑把な解釈も有り、特にボレロでの独特のルバートが感覚的に付いていくことができなかった。
当時の東京その他での公演では絶賛の声が大きく、そのころのパソコン通信時代のニフティサーヴのFCLAに自分の正直な感想を書いたところかなり叩かれたのも苦い思い出だ。
だが今でも自分の当時の印象が間違っていたとは思っていない。
思えばプレートルは若い頃とその晩年では芸風が大きく変わっていったのだと思う。
1998年の来日公演はその過渡期だったのではなかろうか。
今日はその中からプーランクとサン・サーンスを聴く。
プーランクは「シンフォニエッタ」と「フランス組曲」の組み合わせ。
オケはパリ音楽院管。
「フランスのエスプリ」シリーズの1枚の国内盤LP。
もう30年以上のつきあいのある愛聴盤だ。
そしてプレートルがキャリアの後半で集中的に録音していたウィーン響との演奏で、サン・サーンスの交響曲第3番。
オルガンはマリー・クレール・アランのエラート盤。
1988年録音。
プーランクは湧き立つような華やかさと美しい歌でその魅力は今でも色褪せていない。
サン・サーンスはフランス風というよりも、純音楽的にかっちり固めた密度の高いバッハのような峻厳な音楽を思わせる、この曲の持つある種の大衆的部分と見事に融合していた演奏だった。
演奏の質としてはパリ音楽院管との旧録音よりも高いと思う。
Youtubeはプレートル指揮のベートーヴェン、交響曲第7番第2楽章
| 固定リンク
「音盤視聴記録」カテゴリの記事
- カラヤン、フィルハーモニア管との第九(2023.12.07)
- ホロヴィッツ、1978-79ライヴ(2023.12.01)
- ディヴィッド・マンロウ、中世ルネサンスの楽器(2023.11.28)
- テンシュテットのエロイカ(2023.11.16)
- スーストロのトランペットでテレマンほか(2023.11.14)
コメント
ジョルジュプレートル亡くなりましたか、残念です。東京単身赴任の時にサントリーホールで聴きました。パリ管弦楽団を指揮し、ベルリオーズ「幻想交響曲」でした。正にパリ一色のサントリーホールでした。休憩時間のワインも美味かったです!
投稿: 一藤木秀光 | 2017年1月 8日 (日) 09時22分
一藤木さん、今年もよろしくお願いします。
富士のロゼシアターの時は、終演後にパリ管の団員さんたちにロゼワインの小瓶を配ってました。
粋なはからいですね。
楽団員さんたちの嬉しそうな顔を今でも覚えています。
投稿: 山本晴望 | 2017年1月 9日 (月) 02時31分
初めまして。プレートルの訃報は悲しいことでしたね。
ところでですが私、フランス音楽について色々情報交換します《フランス音楽の戯れ》というFacebookグループの管理人をしております。
https://www.facebook.com/groups/lesjeuxdelamusiquefrancaise/
もしご興味ございましたらご参加下さい。
宜しくお願い致します。
投稿: 石黒万里生 | 2017年1月10日 (火) 09時20分
あれ、まりおさんじゃないですか!
石黒さんはわたしの大学の3つ上の先輩です。>山本様
投稿: つじ@Tp | 2017年1月11日 (水) 22時29分
そうなんだ!
FBグループに参加させていただきました。
投稿: 山本晴望 | 2017年1月12日 (木) 07時11分