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2018年4月24日 (火)

至上の印象派展 ビュールレ・コレクション

曇りのち雨。
ここしばらくの気温上昇はしばしのクールダウン。


来週はもう5月。

昨日は所用で東京へ。


用件は午後からなので、午前中は国立新美術館で開催中の「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」に行っていた。

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早めの新幹線に乗り美術館のオープンとほぼ同時刻に入館。

平日にもかかわらず印象派の有名絵画が来ているということでかなりの人。




稀代の絵画コレクターとして著名なビュールレの所蔵500点の中から、印象派の絵画を中心に64点の展示。



その半数が本邦初公開だという。



64点の全貌は17世紀のオランダ絵画から20世紀のモダンアートまでのルノワール、セザンヌ、ピサロ、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、モネ、マネ、ピカソそのほか



いずれもチューリッヒにあるビュールレ宅に隣接している美術館に展示されているもので、2008年に大規模な盗難事件があってからは閲覧が制限されているという。


実際にチューリッヒに行ったことがある職場内の絵画マニアによると、ビュールレの美術館は休館日が多く入館も申込制とのこと。


2020年に全作品がチューリヒ美術館に移管されるため、ビュールレ・コレクションとして見ることができるのはこれが最後。


この中の目玉はルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」とセザンヌの「赤いチョッキの少年」

いずれもほとんどの人が一度は見たことがある絵だろう。

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他の展示作品もいずれも強いインパクトを受ける作品ばかり。

モネの「陽を浴びるウィータールー橋」では紗のかかったような薄靄の向こうに見える橋の存在が立体感を伴って見えてくる。

この立体感は本物でなければ感じることができない。


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「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」は写真や複製で見たことがあるけれど、本物がこれほど凄いとは思わなかった。

可憐な純粋無垢の8才の少女の姿。


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ルノワールの少女への愛情がそのままにじみ出ているようだ。

モデルとなったユダヤ人の家庭に生まれたイレーヌ嬢のその後の悲劇的な生涯を思うと、美しさとともに運命の悲しさまでも見えてくるよう。


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最後に飾られていたのは、クロード・モネの「睡蓮の池、緑の反映」。

横幅4メートルを超える大作。

ここだけ撮影可となっていて大勢の人がスマホで撮影中。



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この絵が国外で出るのは初めてだという。

うーん・・・・

生意気なことを書かせていただくと、ここで飾られている絵はモネの睡蓮の中では出来の良くない方だと思う。

なんとなく散漫で全体像が曖昧のまま。

他の絵のレベルが高いものばかりだったのでなおさら目立ってしまった。


東京に行く用件がなければそのままスルーしてしまった展覧会だけれど、見ておいて本当によかった。



それにしても一個人がよくこれだけのものを集めたものだ。

よほどの財力の持ち主だろうと会場にあったビュールレの年譜を見たら納得。




ごく一般の家庭に生まれたものの銀行家の娘と結婚。

そして岳父のつながりでスイスの機械メーカー、エリコン社の代表となっていた。

エリコン社といえば高性能航空機関砲のメーカーとして有名だ。
ゼロ戦に搭載されていた20ミリ機関砲もエリコン社製のコピーだったはず。


ちょうどビュールレが経営していた時期は、第一次世界大戦の終わりから第二次世界大戦の終結までの時期と重なっている。


当然引く手あまたの高性能機関砲メーカーとして、莫大な利益がころがりこんだことであろう。



ルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」は所有者のカーン家がユダヤ人だったためにナチに略奪され一時ヒトラーの片腕だったヘルマン・ゲーリングの所有となっていた。


イレーヌの身内はアウシュヴィッツに送られている。


終戦後所有者であるイレーヌ嬢本人に返還されたが、1949年にビュールレがイレーヌ本人から買い取っている。


そのときイレーヌは77才になっていた。

自分のよき時代の思い出の絵をイレーヌはどのような気持ちで手放したのだろう・・・


しばし絵の前に佇みながらそんなことを思ったりしていた。



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昼食は代々木上原のそば処「山せみ」

駅前の坂を上った路地裏のマンションの一角の店。


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良い素材を使ったほど良き揚げ具合のてんぷらに、腰の強い手打ちのとろろ蕎麦と鴨南せいろのセットもの。




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上質な蕎麦に室内には静かにバロック音楽が流れる落ち着いた良い店だった。



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ちょいと長くなりましたので続きは後日。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

エリコンは零戦とは関係なかったのでは?逆にアメリカ側のB29の爆撃照準機に使われていたのでは?
イレーヌ嬢はアウシュビッツから生還されたのでしょうか。

投稿: サンセバスチャン | 2018年4月24日 (火) 22時31分

旧日本海軍の航空機銃は比較的早くからスイスエリコン社の製造ライセンスを得ていたので、ゼロ戦の99式20ミリ機銃はエリコンFF型をライセンス生産したものが採用されました。当初は恵式20ミリ機銃とよばれていました。
一式陸攻に搭載された固定機銃も同じものの改良型です。

一方旧陸軍はいわゆるホー5などの20ミリ機関砲(陸軍では20ミリ以上を機関砲と呼びました)採用。これはコルトーブローニング系のホー103を改良した機銃です。
こちらのオリジナルはアメリカ製ですね。

アメリカのB29などに搭載されていた爆撃照準器はノルデンが開発したものでアメリカ製です。いわゆるノルデン爆撃照準器とよばれるもの。

イレーヌ嬢の娘さんとお孫さんはアウシュヴィッツの犠牲となりましたが、本人は収容所行きは免れたようです。(ネット上でいくつかの記述はありますが根拠不明)

ただご本人が91歳まで長命されたことは事実のようです。

投稿: 山本晴望 | 2018年4月25日 (水) 03時19分

こんにちは。
私も至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」を見ましたので、大変興味を持ってブログを読ませていただきました。ルノアールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」に日本で再会できたのは、夢のように嬉しく、感無量でした。ルノワールが女性を美しく描くことにかけては、抜群の技量を持っていることを、時代も画風も変わってきて異なった表現の3つの作品で心ゆくまで味わうことができました。セザンヌの晩年は、画家としての自信と自負にあふれたポーズで堂々と立つ自画像は始めて見ることができ、最晩年の明るいタッチの作品を見たことも含めて、嬉しい気持ちになりました。モネの『睡蓮の池、緑の反映』は、精神的安らぎを感ずる巨大な空間を肌で感じ、約1世紀後、抽象表現主義の絵画のような何時間もその空間に浸っていたいような精神的世界を体験できました。

私は、以前スイスのピュールレ美術館に行きたくさんの感動を体験しました。現地で見て、ルノアールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」の美しさと、セザンヌの最高傑作『赤いチョッキの少年』がなぜ美術史上に残る傑作なのかを詳しく検討して、これらの傑作の本質的魅力をレポートしてみました。 読んでいただいて今後のお役に立てて頂けると嬉しいです。ご感想・ご意見などありましたら、ブログにコメント頂けると感謝いたします。

投稿: dezire | 2018年5月 2日 (水) 21時40分

拙ブログへのコメントありがとうございます。
ビュールレ展の詳細なレポートを拝見いたしました。
素晴らしい内容で、あたかもビュールレ展を再体験できた思いです。

私は肖像画が好きで風景画でもその中に書かれた人物像に心惹かれます。


今回のビュールレ展でも、画家の視点から見た当時の人たちの多彩な個性とそれぞれの画家の描き方の違いは興味深いものでした。

またモネの「睡蓮の池、緑の反映、」についての深い考察を拝見し、自分の浅学に恥じ入るばかりです。
非常に勉強になりました。ありがとうございました。

投稿: 山本晴望 | 2018年5月 3日 (木) 21時10分

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