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2018年10月28日 (日)

バボラーク・アンサンブルを聴く

穏やかな10月最後の日曜日。

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昼下がりに近くの牛臥山公園に行ったりしていた。



ここの小浜海岸は、井上靖の自伝的な小説を原作として映画化された「わが母の記」で ロケに使われた場所。

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役所浩司扮する主人公の洪作が母役の樹木希林を背負う印象的な場面で使われていた。

原田眞人監督は同郷にして高校の先輩。

ススキ越しに大瀬岬が良く見えた。


夜は隣の新築祝いの宴席。
ご主人は腕の良い大工なのでかなりの部分は自作。

最新の技術と実験的な手法を取り入れていて、最小限のエネルギーで冷暖房をまかなえる屋内の空気循環の工夫には驚くことばかり。

隙間風自然冷房の築90年のわが家と比べて隔世の思い。



今月20日の土曜日に聴いたバボラークのことなど。

世界的なホルンの名手ラデク・バボラーク率いるバボラークアンサンブルのコンサートに行っていた。

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会場は晴海アイランド・トリトンスクエア内にある第一生命ホール。

ホールは満席完売状態。若い女性客も多かった。


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自分の隣の学生らしき女性の手荷物は黒いケースに入ったホルン。
ホルンを吹いている人も多く来ているのだろう。


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曲はなんとモーツァルトのホルン協奏曲第5番、第6番。
他にライヒャとボウエンの作品。


モーツァルトのホルン協奏曲は第4番まで。

そのうち最晩年に作曲された第1番は2つの楽章しかない。

今回の第5番、第6番は、断片として残された変ホ長調のK.370bと
ホ長調のK.494を補筆したものをそれぞれ第1楽章としている。

それぞれ第2楽章と第3楽章は、モーツァルトの他の作品から引用編曲して3楽章の協奏曲としたもの。

なお第6番の第3楽章には、ホルンのためのロンド・コンチェルタンテK.371を使用。

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アンサンブルは弦楽四重奏にコントラバスが加わったもの。

ライヒャのオリジナルがホルン五重奏だがこれを六重奏で演奏していた。

ボウエンの作品はデニス・ブレインに献呈された曲。

20世紀に作曲された曲ながら、保守的な作風でディーリアスやエルガーに共通した渋さと清涼感がミックスされたような曲。

これら4曲を、柔らかな音色で弦楽器と溶け合いながら時にはソリスティック、時にはアンサンブルの一員として見事な演奏を聴かせてくれた。


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モーツァルトの2曲は、モーツァルトの作品とはいえ従来の4曲の協奏曲とは音楽とホルンの一体感が異なるように思う。

この日演奏されたモーツァルト自身が書いた未完の二つの楽章は、自分には実験的な手法を試みようとして当時のホルンの限界が見えて作曲を止めてしまったようにも思える曲。


他の曲(バセットクラリネットのためのアダージョや交響曲第19番、第22番など)を編曲して持ってきた楽章も、違和感とまではいかないが3楽章の協奏曲としてはモーツァルトの天才的な閃きが薄まっているような気がする。


さらに各曲でのバボラーク自身によるカデンツァの見事さが、曲の弱点を浮かび上がらせているようにも見える。

カデンツァでのバボラークの重音奏法はとにかく凄かった。

このバボラークの超絶技巧はライヒャでいかんなく発揮。

数多くの管楽器のための音楽を書いたライヒャの作品は、とかく表面的でどの曲も同じように聞こえがちだけれども、曲としてのインパクトはモーツァルトよりもこちらの方が上だった。



それにしてもバボラーク。

唖然とするような演奏の連続に、楽章間では会場内を恐ろしいほどの静寂が支配。

演奏を聴いているうちに、これほどのホルニストは世紀にひとりかふたり。
まさにデニス・ブレイン以来の歴史的な名手だと思った。


ここに来ていた観客の誰しもが思ったのではなかろうか。

アンコールはなんとヤナーチェクの「シンフォニエッタ」から第4楽章。

信じられないことだが、オケ原曲に出てくるチャイムに似た音がこの編成で
実際に聞こえてきて唖然。


それともそら耳だったのだろうか。

youtubeはバボラークアンサンブル

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