ルイス・レーンのコープランド
雨が上がり爽やかな日曜日の朝。
午後に一時雨。
蒼い空には鳶が舞っている。
何をするでもなく家の雑事で一日が終わる。
夕方静岡の娘が一時帰省。
夕飯のカレーを食べて帰って行った。
今日はルイス・レーンのコープランド
レイス・レーンといってもほとんど知られていない。
来日しているのだろうか。
以下は沼響のHPで自分が連載している聴き比べコラムから「ローマの松を聴く」からのルイス・レーンについての転載一部加筆。
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「ルイス・レーン(1923~2016)」
テキサス生まれで大指揮者ジョージ・セルの愛弟子、セル時代のクリーヴランド管弦楽団の准指揮者として、世界最高のオーケストラを陰で支えたルイス・レーン。
グレン・グールドからも高く評価され伴奏指揮者としても起用されています。
発売されたアルバムはグラミー賞候補にもなりましたが、結局縁の下の力持ちで終わってしまったようです。
当時のセルの弟子には、他にマイケル・チャーリ、ジェームズ・レヴァインといった人たちがいて、結局この中ではレヴァインが抜きん出て有名となりましたが、セル自らはレーンを最も可愛がったそうです。
セルの死後、水準が落ちていたダラス響の音楽監督(1974~1976)となりましたが、いまひとつぱっとせず、その後はアトランタ交響楽団の音楽監督に就任した合唱指揮者として著名だったロバート・ショウに呼ばれ、アトランタに行きました。
オーケストラ指揮者としての実力はショウよりも上でしたが、結局ここでも准指揮者でした。
その後オハイオ州のアクロン市交響楽団の音楽監督を経て、テペイロ市交響楽団の音楽監督。
次第にサーキットの最前線から消えていったレーン。
結局レーンはアメリカ指揮者界での優秀なニ流指揮者と評価され、メジャーオケからは無難な客演指揮者として重宝されてしまったようです。
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以上引用。
聴いたのはレーンがアトランタ響の准指揮者時代のテラークへのコープランド作品の録音。
・市民のためのファンファーレ
・バレエ「ロデオ」
・バレエ組曲「アパラチアの春」
ルイス・レーン 指揮
アトランタ交響楽団
録音 1982年
国内盤発売時にはレーンのデビュー作とクレジットされていたが、実際にはクリーヴランド時代にクリーヴランド管のポップスオケを振ったアメリカ音楽や、メンデルスゾーンの交響曲第1番など、セルが録音しそうもない曲を録音している。
他に数多くの録音がありこの時点で既に録音歴は長かった。
この録音当時のアトランタ響の音楽監督ロバート・ショウは合唱指揮者として有名だった人で、メジャーオケの音楽監督としての力量は未知数だった。
そこでクリーヴランド管を世界最高のオケに育て上げたジョージ・セルの下でそのノウハウを学んでいたレーンの職人技を見込んで引っ張って来たのではなかろうか。
レーンのテラーク録音には他にレスピーギの録音もあり、演奏よりも録音の優秀さで有名になったように記憶している。
そしてこのコープランド。
これは非常に聴きごたえのある演奏だった。
オケを豪華に鳴らしながらも各楽器の鳴り具合のバランスは完璧。
これはジョージ・セル譲りで、おそらくレーンは非常に耳の良い人と想像する。
ひたすら明るいコープランドの音楽がレーンの資質にぴったり嵌っていたようだ。
聴いていて実に爽快。
ゴージャスにして暖かく響くストリングスも美しい。
まさに音作りの高度な職人技を堪能。
録音もほどよくブレンドされた楽器の響きが壮大な広がりで迫る傑作だ。
この録音はかつてオーディオ評論家の長岡鉄男が「テスト向きの壮絶ダイナマイト・サウンド。」と絶賛していた録音だという。
さもありなん。
ただ難を言えば、ファンファーレでは打楽器が前面に出すぎ肝心のブラスが奥に引っ込んでしまった。
音量を上げると打楽器がうるさく感じるのは、デジタル初期過渡期の録音ゆえかもしれない。
他の2曲ではこれ以上の優秀録音を聞いたことがない。
録音エンジニアはジャック・レナー。
Youtubeはコープランドの「アパラチアの春」オリジナル版
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