カラヤンのモーツァルト、レクイエム2題
本日快晴、8月も終わりだというのに相変わらず熱い。
残暑とは言えず未だ真夏の真っ只中という趣。
それでも昨日はまとまった雨。
ご近所に不幸があり、昨日朝はお悔やみに行き、故人に線香をあげてからの出勤。
このコロナ禍の中、葬儀もいろいろな制約があることをご遺族から伺った。
今朝、検査後に車の運転ができなくなるという家内を眼科に連れて行った。
自分の通っているクリニックとは別の隣町清水町の眼科。
着くと9時前で駐車場は満車状態。
診察までかなり時間がかかりそうなので一端家に帰ろうとしたけれど、近くにハードオフとブックオフがあるのを思い出した。
そこで時間を潰すことにしよう。
時間が開店前なので近くのの図書館に行くことにした。
図書館は清水町のまた隣町、三島市の中郷分館。
こじんまりした良い図書館だ。
新聞を読んだりしているうちに10時。
ハードオフに向かおうと車に乗った 直後に家内から電話。
思いの外早く終わったという。
ちょっとがっかりして眼科に向かう。
家内を乗せて帰宅しようとしたら、今度は母からの電話で「牛乳を買ってきて」とのこと。
最寄りのローソンで牛乳を購ったら、付いてきた家内がアイスクリームなどを買っている。
結局、支払いは自分。
帰宅後、炎天下に畑の物置の片付けなど。
暑い・・・・
合間にご近所の亡くなられた方の出棺の立ち会いもあり、いろいろと忙しかった8月最後の土曜日。
今日はモーツァルトのレクイエムを聴いていた。
自分の刷り込みは当時キング・レコードの廉価盤LPのカール・リヒター指揮ミュンヘンバッハ管弦楽団による演奏。
リヒターの演奏はバッハにも似た峻厳で硬質の禁欲的な見事な演奏だった。
この演奏が今でも自分のスタンダードになっている。
今日聴いたのはカラヤン指揮の2種。
最初に1961年録音。
手持ちはグラモフォンの独逸盤LP
レクイエム ニ短調 K.626
ヴィルマ・リップ(ソプラノ)
ヒルデ・レッセル=マイダン(アルト)
アントン・デルモータ(テノール)
ヴァルター・ベリー(バス)
ヴォルフガング・マイヤー(オルガン)
ウィーン楽友協会合唱団
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
録音時期:1961年10月
ベルリン、イエス・キリスト教会
リヒターのストイックな演奏に比べると、カラヤンはレガート多用の全く別世界の音楽。
このカラヤンの演奏については、かつて著名な音楽評論家がこれほど汚い演奏はない!といった酷評をどこかで読んだことがある。
遅いテンポの、甘く一種官能的な演奏でリヒター盤で馴染んでいたので以前は拒絶反応が出ていた。
だが今はさほど抵抗感なく聴ける。
なぜだろう?
劇的な雄大さの中にも磨き抜かれた美しさも感じられる。
特に冒頭の数小節に顕著。
ディエス・イレからチューバ・ミルムまでの激しさ。
イエス・キリスト教会の残響豊かな空間に響くトロンボーンも美しい。
声楽のソロも粒が揃っていて良いアンサンブルだ。
だが合唱は響きが混濁して多少粗い。
なぜベルリンでウィーンの合唱団を起用したのかわからない。
ラクリモーサでは最後の音を異様に長く延ばしていた。
EQカーヴはffrrで聴いた。
そして1975年録音。
こちらの手持ちは国内盤LP.
アンナ・トモワ=シントウ(ソプラノ)
アグネス・バルツァ(アルト)
ヴェルナー・クレン(テノール)
ヨセ・ヴァン・ダム(バス)
ウィーン楽友協会合唱団
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
録音1975年9月27,28日
ベルリン、フィルハーモニー
旧盤に比べ雄大な中にも音楽に落ち着きが感じられるレクイエム。
合唱は同じ団体ながらこちらの方が良い
前回の教会での録音とは異なり残響は短め。
その分オケのアンサンブルはこちらが明瞭で、クラスター爆弾のような音響の渦の中でも音は濁らない。
こちらではキリエの最後の音を極端に伸ばしていた。
ソロは旧録音の方自分は好み。
なぜかこちらの演奏の方が1961年録音に比べて演奏時間が長く感じられた。
Youtubeはカラヤン指揮ウィーンフィルによるモーツァルト、レクイエム。1986年の演奏
| 固定リンク
「音盤視聴記録」カテゴリの記事
- ホロヴィッツ、1978-79ライヴ(2023.12.01)
- ディヴィッド・マンロウ、中世ルネサンスの楽器(2023.11.28)
- テンシュテットのエロイカ(2023.11.16)
- スーストロのトランペットでテレマンほか(2023.11.14)
- パリ、ノートルダム大聖堂のクリスマスライヴと朝比奈隆の第九(2023.11.12)
コメント
カラヤンが合唱曲のほとんどでウィーン学友協会合唱団を用いていたのには理由があります。第二次世界大戦後、カラヤンがナチス党員であったことを理由に演奏活動が禁じられたばかりでなく、身の危険も感じてイタリアに逃避してから、演奏活動が認められて生活ができるようになるまでの間、この合唱団は彼を経済的に支援しました。彼はそれを一生恩に感じてこの合唱団を用いたのです。彼ならもっと優秀な合唱団をいつでも使えたはずですが、私はカラヤンの義理堅さを現しているこの話がとても好きです。
投稿: Helisala.2. | 2023年6月14日 (水) 23時37分
Helisala.2さん、良いお話をうかがいました。
カラヤンが晩年に至るまでウィーン楽友協会合唱団を使い続けていた理由がわかりました。
なるほど、そのような事情があったのですね。
カラヤンのあまり知られていない人柄が窺えるエピソードだと思います。
貴重な情報ありがとうございました。
投稿: 山本晴望 | 2023年6月15日 (木) 21時51分