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2021年3月 3日 (水)

イオネル・ペルレアのロッシーニ

昨日の雨は夜のうちに上がり本日快晴。
今日はひな祭り。

 

オケでロッシーニの歌劇「どろぼうかささぎ」序曲を練習中。

 

ロッシーニは、若い頃にほとんどの作品を発表して早々に引退。

その後は自由気ままに贅沢と美食の日々の長い余生を送ったしあわせなヒト。

そのくらいのイメージで作品自体は軽く薄いものと勝手に思い込んでいた。

 

先日の練習時に小太鼓と大太鼓、シンバルが入り、楽しく吹いているうちに曲としてよくできているのではないかを思えてきた。

 

スコアを見るとロッシーニの序曲はどの曲も譜面ヅラがシンプル。

 

「ウイリアムテル」序曲のように交響曲のような体裁の大きな規模の曲もあるけれども、多くの序曲はゆっくりした序奏から始まって管楽器のソロを交えながら速い主部に突入。

中間部は管楽器を加えテンポを緩め、終結部では徐々に楽器を加えながら長大なクレシェンド(いわゆるロッシーニクレシェンド)でお開きというどの序曲も同じような起承転結。

 

メロディもオペラの中身とは無関係な素材を使っていて「セビリアの理髪師」のように他のオペラの序曲を使い回があったりする。

 

それでも時代を超えて多くの曲が生き残っているのは、親しみやすいメロディ、そしてシンプルのようでいて実は巧みな楽器の使い方にあるのだろう。

 

そこで歌劇「どろぼうかささぎ」序曲、手持ちの演奏をいくつか聴いてみた。


ライナー、セラフィン、そしてペルレアの演奏で聴く。
いずれも70年代に出た国内廉価盤LP.

 

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ハンガリーの名指揮者フリッツ・ライナーはずいぶんとシンフォニックなロッシーニ。
妥協を許さぬ恐ろしいまでの必殺の精密なアンサンブルで聴かせる。

フォルティシモなど怒られているかのような衝撃で迫って強烈だ。


ユーモアのカケラもなし
版が沼響の版と異なるがオペラの曲ではよくあることだ。

 

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イタリアの名伯楽トウリオ・セラフィン(Tullio Serafin, 1878 - 1968)は飄々とした軽みの感じられるロッシーニ。

これは素晴らしい。

こちらはシンバルがたくさん入る版を使用。

オケはセラフィンが音楽監督をつとめていたローマ歌劇場。

 

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意外に良かったのはルーマニアで生まれで、主にイタリアで活動した指揮者イオネル・ペルレア(Ionel Perlea、1900 - 1970)のロッシーニ。

 

ペルレアといえば米VOX系に多量の録音があり、どの演奏も没個性で特に特徴がない印象があった。

 

若い頃に読んだある音楽評論家が書いた指揮者名鑑に、これほど無能な指揮者も珍しいと酷評されていたのがインプットされていたこともありあまり興味を引く指揮者ではなかった。

 

ところがこの演奏。

 

ごく普通の演奏だけれど、聴いていてなんとも滋味の感じられる演奏。

立派すぎるライナーの演奏よりも今の自分にはペルレアの演奏の方がよほどしっくりとくる。

続く「セミラーミデ」序曲は一層の名演だ。
こちらのオケはバンベルク交響楽団。

 

Youtubeはアバド指揮ウィーンフィルの「どろぼうかささぎ」序曲

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