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2022年5月19日 (木)

シューリヒトのブルックナー、聴き比べ

本日快晴。


昨日になって久しぶりに見た青空。

昨日は金曜に実施するクラシックレコードコンサートの打ち合わせに市民文化センターに寄った帰りに隣町清水町の本城山公園に登ってみた。


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ここは戦国時代に後北条氏によって築かれた山城。

本丸跡の展望台に登ると360度の大パノラマが広がる。

柿田川近くに築かれた泉頭城址。ここは最晩年の徳川家康が隠居城とするはずだった城として知られる。


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南の伊豆方面には手城山砦に大平城址

その向こうに韮山城址


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沼津方面に目を転じると敵方、武田氏の三枚橋城址などが一望のもとに見渡せる。


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戸倉城は戦国時代に武田氏と後北条氏との間で熾烈な争奪戦の場となった城郭。


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今日は午前中に畑にトマト、ナス、ピーマンを植えた後に母を病院に連れて行った。
先週転倒して痛む箇所を診てもらう。

 

午後は会議出席のためにオフィスへ。

会議は一時間ほどで終わり、そのまま帰宅するつもりが懸案事項で引き留められて帰宅は18時。

 

先日、シューリヒトのブルックナーで情報提供があり、ウィーンフィルとのブルックナーの交響曲第9番(1961年録音)の第3楽章で、ホルンのパートで改変があるようだ、とのご教示。


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・ブルックナー:交響曲第9番二短調(原典版)

 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 カール・シューリヒト(指揮)
 録音1961年11月  ウィーン、ムジークフェラインザール

 

そこで手持ちの音源をいくつか聴いてみた。

 

改変場所はノヴァーク版のスコアで、練習番号Fの93小節めから100小節めまで。

スコアを見ると、この部分でホルンは3,4番ホルンが93―100小節、第1、2番ホルンが97-98小節を吹いていて、ホルン奏者が演奏するワーグナーチューバは休んでいる。

 

今回聴いたシューリヒトのブルックナーの交響曲第9番は以下の6種類。

 1943年  ベルリン市立管弦楽団  スタジオ録音
 1951年  シュトウットガルト放送響 ライヴ
 1955年  ウィーンフィル  ライヴ
 1960年  北ドイツ放送響  ライヴ
 1961年  ウィーンフィル  スタジオ録音
 1963年  バイエルン放送響 ライヴ

 

シューリヒト&ウィーンフィル(1961年)のスタジオ録音ではこの箇所は、2,3番クラリネットパートにホルンを重ねている。(ただし98-100小節目は2,3番クラリネットパートではなく1番クラリネットのパートも混在)

ここで吹いているのはおそらく1,2番ホルン奏者。

 

だがかなり強烈に響いているので、ホルンではなくワーグナーチューバである可能性も捨てきれない。

あるいはワーグナーチューバ担当奏者がホルンに持ち替えて吹いている可能性も・・・・

 

1,2番ホルン奏者がクラリネットパートを重ねて吹く場合は、97-98小節の本来の1,2番ホルンパート部分は当然捨てることになる。

1961年のウィーンフィルとのスタジオ録音を聞くと、97-98小節間の1,2番ホルンは聞こえていないようにも思える。3,4番ホルンパートもずいぶんと控えめに吹いていた。

 

同じシューリヒトではバイエルン放送響(1963年録音)のライヴもウィーンフィル盤と同じ改変。


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こちらはモノラルながら録音も良く、楽器の細部はこちらの方がよくわかる。

 

ウィーンフィルとの1955年ライヴも同じ改変だがこちらは100小節目の3拍目にトランペットの音を加えていた。


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面白いことに、シューリヒトのブルックナーの交響曲第9番の最初の録音であるベルリン市立管との独ポリドール録音(1943年録音)では、楽譜のとおりに全く改変無しで演奏している。


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他のいくつかの録音でも微妙に細部が異なっているのが面白い。

1960年の北ドイツ放送響とのライヴでは、97-98小節の1,2番ホルンの捨てたはずのパート部分をトランペットに吹かせていた。
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100小節3拍めのトランペット付加は1955年録音のウィーンフィルライヴと同じ。


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1951年のシュトウットガルト放送響とのライヴでは、第3,4番ホルンに94,96小節めの3-4拍をクラリネットの2,3番と重ねて吹かせ、97-98小節の1,2番ホルンは譜面の通り吹かせている。

 

 

以上のことから最初の43年録音は譜面のとおりとし、51年のシュトウットガルト盤の過渡期的な改変を経て1963年録音のウィーンフィル、バイエルン盤に至ったと想像できた。

 

シューリヒトの「ライン」のいくつかの録音にも、それぞれが異なった改変があったように、ブルックナーでも絶えず試行錯誤して模索していたのだと思う。

シューリヒトのブルックナーの第九番では、第3楽章の終盤の弦楽器の動きをテヌート気味にするなど改訂版のアイディアも各所で導入しているようだ。

 

シューリヒトのブルックナーのいくつかを久しぶりに聴きなおしてみて、絶えず研究を怠らず試行錯誤を続けていたシューリヒトの偉大さを今更ながら思う。

 

Youtubeはシューリヒト指揮ウィーンフィルのブルックナー、交響曲第9番第3楽章

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コメント

この時代の指揮者の仕事として「楽譜を校訂すること」というのがありましたね。昨今のオリジナル研究とは違うものだと思いますが。

投稿: ぶりちょふ | 2022年5月20日 (金) 22時11分

朝比奈隆さんだったかな。

かつて指揮者は楽譜に手を加えるのが当たり前と言われていた、とどこかのインタヴューで答えていました。

投稿: 山本晴望 | 2022年5月23日 (月) 02時16分

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