帯笑園の浜梨のことなど
明日から師走。
ここ数日風が強く今日も天気晴朗なれども波高し。
江戸後期から明治までの間に東海道随一の庭園と称せられた沼津原にあった植松家の「帯笑園」。
寛政十年(1798)から明治三十四年(1901)までの植松家に残された訪問録「帯笑園撮録」を読んでいる。
記されている訪問者は、将軍家のほか島津斉彬、山内容堂などの参勤途中の藩主たち、京都帰りの会津藩主松平容保の名も見える。
その他幕府の重臣、柴野栗山などの儒学者やお公家たち。
幕末から明治になるとシーボルトほか日本に訪れた外国人著名人に加え、皇族、伊藤博文山形有朋そのほかの明治の元勲たちの大部分などなど。
名前だけではなく献上品や貴人たちの反応など記されていて、その時代の著名人たちの素の姿が垣間見えて面白い。
提供した軽食類の具体的なメニューもあって、そこには煎茶の銘柄や今では忘れられた沼津近辺の名産の数々が。
外国人には刺し身や当時沼津の名産だったウナギの蒲焼が、幕府の外国方の指示で出されていたりしている。
中でも「浜梨」の塩漬けがお茶の席や食事の際に必ず出されていた。
よほど好評だったのか沼津の名産だったのか・・
「浜梨」ってなんだろう?と思い牧野富太郎の「原色牧野植物大図鑑」をひもといてみると、カラーの挿絵とともに明確な説明がありました。
「浜梨」とはハマナスのこと。
ハマナシ(ハマナス)とあるのが意味深く、別名ハマナスは東北訛りからきたものと書いてありました。
へぇー。
「浜梨」の塩漬けも調べてみたら、明治36年の沼津土産の広告に富士浜梨というのがあった。
今は忘れられたけれどかつては沼津の名物だったらしい。
いろいろ調べていくと浜梨(ハマナス)の実は別名ローズヒップであることも知りました。
ローズヒップティーならば時々飲んでいる。
「浜梨」の塩漬けも探してみよう。
BGMはコープマンの弾くバッハ。
平均律クラヴィーア曲集第2巻
Youtubeはコープマンの弾く小フーガト短調
最近のコメント