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2023年11月30日 (木)

帯笑園の浜梨のことなど

明日から師走。

 

ここ数日風が強く今日も天気晴朗なれども波高し。

江戸後期から明治までの間に東海道随一の庭園と称せられた沼津原にあった植松家の「帯笑園」


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寛政十年(1798)から明治三十四年(1901)までの植松家に残された訪問録「帯笑園撮録」を読んでいる。

 

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記されている訪問者は、将軍家のほか島津斉彬、山内容堂などの参勤途中の藩主たち、京都帰りの会津藩主松平容保の名も見える。


その他幕府の重臣、柴野栗山などの儒学者やお公家たち。

 

幕末から明治になるとシーボルトほか日本に訪れた外国人著名人に加え、皇族、伊藤博文山形有朋そのほかの明治の元勲たちの大部分などなど。


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名前だけではなく献上品や貴人たちの反応など記されていて、その時代の著名人たちの素の姿が垣間見えて面白い。

 

提供した軽食類の具体的なメニューもあって、そこには煎茶の銘柄や今では忘れられた沼津近辺の名産の数々が。

外国人には刺し身や当時沼津の名産だったウナギの蒲焼が、幕府の外国方の指示で出されていたりしている。

 

中でも「浜梨」の塩漬けがお茶の席や食事の際に必ず出されていた。

 

よほど好評だったのか沼津の名産だったのか・・

 

「浜梨」ってなんだろう?と思い牧野富太郎の「原色牧野植物大図鑑」をひもといてみると、カラーの挿絵とともに明確な説明がありました。

 

「浜梨」とはハマナスのこと。


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ハマナシ(ハマナス)とあるのが意味深く、別名ハマナスは東北訛りからきたものと書いてありました。

へぇー。

 

「浜梨」の塩漬けも調べてみたら、明治36年の沼津土産の広告に富士浜梨というのがあった。

今は忘れられたけれどかつては沼津の名物だったらしい。

 

いろいろ調べていくと浜梨(ハマナス)の実は別名ローズヒップであることも知りました。

ローズヒップティーならば時々飲んでいる。

 

「浜梨」の塩漬けも探してみよう。

 

BGMはコープマンの弾くバッハ。

平均律クラヴィーア曲集第2巻


230069895

 

 

Youtubeはコープマンの弾く小フーガト短調

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文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

ハマナスは日本海側では一般的ですが、太平洋側は茨城より北に見られる植物ですし、
この文献によると植松家が入手した「須走の神主が持参した斑入り浜梨」とあり、

https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900026551/KJ00004283940.pdf

この文献によると�����������������������������������������「一合目(2100メートル)ヨリ上ハ富士ノ名物浜梨繁茂セル灌木帯」とあるので、

https://www.jstage.jst.go.jp/article/fujisan/5/2/5_19/_pdf

一般に知られたハマナスとは違う、富士山中腹で得られるものが名産だった可能性があります。

投稿: つじ@沼響 | 2023年12月 3日 (日) 22時16分

なるほど。貴重な情報ありがとうございます。
実はハマナス(浜梨)については自分の中では比較的寒冷地に咲く花というイメージがあり、沼津付近で見かけたことがなかったので、疑問には思っていました。
ただ植松家からの献上品の中に浜梨の木鉢という記述があったので、植松家で栽培していたかなとも思い調べてみましたが、栽培を裏付ける文献はありませんでした。
富士浜梨というものが富士、沼津あたりの名物であったことが、植松家関係以外の明治大正期の文献では散見されています。

ネット上では富士山周辺で栽培したハマナスの実のジャムもありますが富士山周辺ではコケモモのことを浜梨というという情報もあり、ご紹介された文献の記述からすると植松家が献上した浜梨は富士山付近からもたらされたコケモモの実のような気がします。
コケモモの塩漬けは比較的ポピュラーです。
もう少し調べてみたいと思います。

投稿: 山本晴望 | 2023年12月 4日 (月) 11時41分

コケモモは酸性土壌を好み、富士山中腹に多数生えており、特にカラマツやダケカンバと共に見られるそうなので、須走付近から得られる「浜梨」はコケモモを指すというのは納得できますね。

投稿: つじ@沼響 | 2023年12月 5日 (火) 00時07分

辻さん。

いくつかの文献で植松家の浜梨がコケモモであることが確認できました。


富士登山案内(明治39年)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001529782-00


富士の研究6(昭和3年)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000771802-00


富士山(深田久弥ほか 昭和15年(初版)
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001068716-00

ほか

牧野の「原色牧野植物大図鑑」のコケモモの項にも「富士山麓ではハマナシ」と書いてありました。

投稿: 山本晴望 | 2023年12月 6日 (水) 08時54分

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