クレンペラーのヤナーチェク、そしてプリムローズとのバルトークのことなど
7月も半ばを過ぎ、庭の槙の古木に着生している石斛(セッコク)が今年も咲き始めた。
ランの仲間で気品のある美しく白い花。
この花の周囲はなんとなく涼し気な気配。
庭の周囲の生け垣が大きくなりすぎたので、思い切って植木屋に頼んで切ってもらった。
さっぱりして風通しが良くなった。
昨日朝、愛犬ポコを散歩に連れていこうとしたら足下にじゃれつかれてリードが足に絡み転倒。
片手をついた際に手首を痛めてしまった。
痛みをこらえながら出勤したものの、なかなか痛みが引かないので早退して病院へ。
木曜午後は休診が多くて困っていたら、職場の女の子から木曜午後でもやっている整形外科を教えてもらい行くことにした。
レントゲン検査の結果骨には異常がなかったものの、夜のオケの練習はやむなく欠席。
今日になってもまだ痛む。
クレンペラーのヤナーチェクとバルトーク。
Archiphonから出ていた1951年のコンセルトヘボウでのライヴ録音でシェーベルクの「浄夜」の1955年録音とのカップリング。
・シンフォニエッタ :ヤナーチェク
・ヴィオラ協奏曲 :バルトーク*
・浄夜 :シェーンベルク**
プリムローズ(ヴィオラ)
オット・クレンペラー(指揮)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音 1951年5月10日、5月11日*
1955年
いずれもアムステダムのコンセルトボウでのライヴ。
33回転アセテート盤への録音だが思いのほか音は良い。
聴衆のざわめきも生々しい音で入っている。
シンフォニエッタは最初のファンファーレからしてゆったりとしたテンポで始まるものの、2曲目からはリズムの切れも良く晩年の鈍重なクレンペラーとは別人のような演奏。
管楽器のアンサンブルに多少の粗さが感じられるのは、戦争によるダメージが未だ残っていたからだろうか。
ヴィオラ協奏曲はバルトークの遺作となった。
ピアノ協奏曲第3番と同じくバルトークはこの曲を完成することなく世を去った。
未完の部分はピアノ協奏曲第3番が最後の17小節を残すだけだったのに比べ、ヴィオラ協奏曲はバラバラの草稿が残されていただけだった。
独奏部分はほぼ作曲されていたものの、オケの伴奏部分はほとんど出来上がらないままだった。
弟子のティボール・シュエリーが苦心の末演奏できる形に仕上げた作品。
この曲が今でもヴィオラの重要なレパートリーとして残されているのは、シュエリーの補筆が優れていたからだろう。
初演は委嘱したプリムローズ。
このライヴは初演から2年後の演奏。
雄弁なソロに比べ、伴奏がストイックに響くのは未完の故なんだろうか。
ただ死の直前にバルトークがプリムローズに宛てた書簡には伴奏は簡潔なものになるとの言及があり、シュエリーはその言を受けてシンプルなオーケストレーションで補作したのかもしれない。
このCDについては十数年前の自分の記事が出てきた
Youtubeはバルトークのヴィオラ協奏曲
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