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2024年11月に作成された記事

2024年11月30日 (土)

本日の練習、明日は本番、そしてポコの脱走

霜月も今日で終わり。晴れた朝は冬の到来の寒さ。

昨日部屋に灯油ストーヴを置いたら電池が切れていた。

マッチが見つからず百円ライターはガス切れ。
エアコンの暖房を点けたけれど少しも暖まらない。

この日の夕方、リードが切れて愛犬ポコが脱走。


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周囲は暗くどこへ行ったのかわからない。

夕飯前だったので、腹を空かせたポコが帰ってくるのを待っていたけれど、なかなか来ない。

 

途方に暮れていると、8時頃になって、隣に住むよっちゃん(娘の同級生)がポコを連れてきた。

 

隣で飼っている洋犬のエマちゃんのところに、切れたリードを引きずったポコが現れたとのこと。


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ポコを知る人に見つけてもらってよかった。

 

今日は午後からはオケ。

沼響名曲コンサートは明日が本番。

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曲はワーグナー、ヴェルディにメインは「新世界より」。

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ロートルの自分にはちょいときついプログラム。

 

Youtubeはジェラルド・シュウォルツ指揮の「新世界より」第2楽章

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2024年11月28日 (木)

ボッテジーニのレクイエム

今朝の狩野川河川敷からの富士山。


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冷たい西風に冬の気配

 

九州から帰ると同世代の友人の訃報が続けて待っていた。

 

一人は職場の同僚でもあった高校大学の一つ年上の先輩。
もうひとりは高校の同級生。

 

先輩には自分の結婚式の司会をお願いしたりして、公私にわたり大変お世話になっていた。
いつも明るく、気配りとウィットに富み多くの人から好かれていた方。

先月までは元気だったのに突然の急逝だった。
家族葬だったけれど葬儀の前にお別れしたく、早い時間に葬儀場に伺いお別れをした。

 

 

そしてもう一人は高校の同級生。

入学した時に前後の席で最初に親しくなった仲。

 

彼は優等生で成績は学年トップ集団の常連。

東大に現役合格したものの中退し、他大学の最難関医学部に再入学。
卒業後は僻地医療に生涯を捧げ、その奮闘ぶりはテレビでも紹介された。

ここ数年は年賀状のやり取りだけになっていたけれど、今年の賀状に大病に罹ってしまったのでこれで年賀状終いとする、とあり気になっていた。

他の同級生からの知らせで今月始めに逝ったことを知った。
治療方法が確立されていない難病だったとのこと。

 

イタリアの作曲家、ジョヴァンニ・ボッテジーニ(Giovanni Bottesini, 1821- 1889)のレクイエムを聴く

イタリアのチェトラから出ていたLP


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・レクイエム   :ボッテジーニ  

林康子(ソプラノ)
ピエルルイジ・ウルビーニ(指揮)
ミラノ、イタリア放送交響楽団、合唱団

   録音:1980年

コントラバスのパガニーニと呼ばれ、いくつかのコントラバスのための作品を残したボッテジーニ。
父も兄弟も作曲家の音楽一家。

 

作曲家としては交響曲からオペラまでかなりの量の作品を残しているけれども、コントラバスのための曲以外はほとんど忘れ去られている。

ちなみにボッテジーニはヴェルディのオペラ「アイーダ」のカイロ初演を指揮していて、
特にオペラはかなりの数の作品があるらしい。

 

このレクイエムの1876年に完成。


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翌年の2月に、1月に亡くなった作曲家でもあった兄の葬儀の際に初演されている。


この時は教会内で女性の演奏者の参加が許されなかったために、女声パートを除いた形で演奏された。完全な形での初演は1880年のこと。

 

その後演奏されることはなく1979年にこのレコードのメンバーによって再演された。

1980年に録音されたこのレコードが長い間唯一の音源だった。
今ではNAXOSからも別の演奏家によるCDが出ている。

 

 

曲は管楽器の響きが厚いけれど、同時代のヴェルディのレクイエムほど劇的な効果は感じられない。

ディエス・イレ後半の緊張感などはなかなかのものとはいえ同時代のヴェルディのレクイエムと比べてしまうとかなり聴き劣りがする。
この作品が注目されるには、よほどの優れた演奏でなければ難しいと思う。

 

ウルビーニ(1929-2003)は主に映画音楽畑で活躍した人らしい。
林康子のアリアが素晴らしいものの、全体の演奏そのものは平凡な出来で、曲の魅力を十分に出しているようには思えない。

 

なおボッテジーニについてはコントラバス奏者の徳高宏行氏のサイトが非常に詳しい。
ここで紹介されている同時代の音楽家たちの写真や肖像の数々は実に貴重。

ボッテジーニが使用していたコントラバス「テストーレ」は、日本のコレクターが所有していることも初めて知った。

 

Youtubeはボッテジーニのコントラバス協奏曲第2番

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2024年11月26日 (火)

フリッチャイの弦楽セレナーデ、そして千田嘉博講演会のことなど

いつのまにか11月も最後の週。

気温は下り、迫る冬に駆け込むように各地で紅葉の便り。


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西から低気圧が接近中。夜半から大荒れ。

昨日は内科クリニックで、定期健診のついでにインフルエンザワクチンの接種。

 

日曜は隣町の清水町で城郭考古学者の千田嘉博先生の講演会だった。


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数年前から続くお城ブーム。

お城を特集するテレビ番組などでは、ほぼ毎回出てくる千田先生ということで開演30分前に行ったにもかかわらず駐車場は満車。


隣接する図書館の駐車場もいっぱいで、やむなく案内された一キロ近く離れた役場の駐車場へ。

 

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今川、武田、後北条の代表的な戦国大名の所領の境目だった静岡県東部のこの地には、戦国時代の城郭が点在している。


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とりわけ会場から数百メートルの地にある後北条氏が築城した泉頭城は、最晩年の徳川家康が終の棲家の地として決めた城として知られる。

 

残念ながら家康の隠居の城として実現することはなかった。

そのあたりを深く説明してくださるかと思いきや、簡単にスルーして一般的な話ばかりだった。


千田先生は考古の人なので、城の構造的な話が中心ということなのだろう。


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画像は泉頭城南曲輪あたりの切岸。

 

八王子城や山中城の復元の誤り?の指摘はそれなりに興味深いものもあったけれど、もう少し近隣の城郭について深堀りしてほしかった。

以前同じ場所で聞いた平山優先生の話の方が面白かったな。

 

昨日内科クリニックの帰りに最寄りのハードオフに寄ってみた。

今年は5月にレコードを沢山いただいたりしているので、音盤購入は控えめ。

 

市内のハードオフは常時LPの在庫はあるけれど、値が高いのでほとんどジャンクコーナーしかチェックしていない。

今回、興味を引く出物はなかったけれど2枚をセレクト。


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1枚はロドニー・ベネットの弾くガーシュインピアノ曲集。

そしてフェレンツ・フリッチャイ指揮のチャイコフスキーの弦楽セレナーデとプロコフィエフの古典交響曲、ボレロのカップリングのヘリオドールの国内廉価盤。


いずれも110円。


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フリッチャイ盤は疑似ステレオ。

弦楽セレナーデは1952年、古典交響曲は1954年でボレロは1955年録音
ジャケットの表記ではベルリン放送交響楽団となっているが、この時期の名称はまだRIAS交響楽団だった。

 

弦楽セレナーデを聴いてみた。

ゴミのような扱いでジャケットはかなり汚れていた。

盤面も汚れているが幸い傷はないようだ。

盤面をOYAGでクリーニングして液が乾燥するのを待ってから聴く。

 

モノラルながら録音もよく、疑似ステレオながら自然な響きでこれは良い。

フリッチャイの演奏は、透明で明快な響きの中で丁寧に歌い上げた美しい演奏だった。

 

Youtubeはフリッチャイのチャイコフスキー、弦楽セレナーデ。

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2024年11月23日 (土)

旅の終わり、山口の湯田温泉で所郁太郎

11月も半ばが過ぎた。

ポコの餌を買いに近くのDIYショップに行くと、クリスマスグッズや正月飾りが並んでいる。

先日まで25℃近い日が続いていたので冬が到来する実感はない。

 

昨日は暖かな小春日和の一日。


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暖かな中でポコは昼寝ばかり。

ときおり薄目を開けてこちらを見ている。

 

オケの本番が近づき土曜の夜はオーケストラ。

練習場所は隣町の長泉町にあるベルフォーレ。
18時の練習開始。

メインの「新世界より」を中心に通す。


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ここのホールは小さいながら適度な残響があり響きが良い。

 

 

旅行最終日です。

 

湯田温泉の街をトボトボと歩いているとやたらと碑文の多い公園を見つけた。

 

井上公園とあり、明治の元勲井上馨の生家跡のようだ。


この地にゆかりの深い、種田山頭火や中原中也の歌碑などのほか、井上馨の立派な像。

 

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その傍らにあった碑に目が釘付けになった。

 

それは司馬遼太郎の短編「美濃浪人」で知られる適塾で医術を学んだ志士、所郁太郎の顕彰碑。

 

所郁太郎は刺客に襲われ重傷となった井上馨を、その場にあった畳針で傷を縫い合わせ、命を救った。


高杉晋作の参謀として活動した所郁太郎はこの翌年病死。


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司馬遼太郎の作品はその後「無名の人」として中学校の教科書にも載った。

 

このような場所で所郁太郎の名を見つけて、ちょっぴり感動。

 

宿にチェックインの後は温泉にゆっくりつかり、翌日は湯田温泉駅9時40分発。

いささか旅疲れもあって、もうどこにも寄らず一路沼津へ。

 

帰りの新幹線は平日にもかかわらず檄混み。

多くは大きな荷物を抱えた外国人旅行客。

 

ある程度予想は出来ていたので帰りは全て指定席を取っていた。

新山口駅から横は中国人の若者二人。

名古屋の駅ホームで昼食用のカツサンドを買って、乗り換えた新幹線では横にドイツ人のご夫婦。

 

沼津は15時02分着。

 

この一週間音楽はほとんど聴いていない。
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旅の4日目ぐらいに、なんとなく音楽が聴きたくなって眠れなくなってしまった。

ネットからアリス=紗良・オットの「ナイトフォール」と題するアルバムからドビュッシーを見つけ、スマホを枕元に置いて聴いて寝た。

 

Youtubeはアリス=紗良・オットの弾くドビュッシーの「夢想」

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2024年11月21日 (木)

旅の終わりは山口へ

曇りのち晴れ、最高気温19℃、最低気温は10℃。

木曜夜はオーケストラ。

いよいよ本番が近づき鈴木衛先生の指揮で前半のワーグナーを中心に。


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今日はハープが入った。

 

 

 

旅行6日めは九州から離れ帰路の途中に山口に寄ってみた。


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室町時代に大きな勢力を誇った守護大名、大内氏の手になる西の京と言われる山口の町。

その町並みと当時の建物として今に残る、瑠璃光寺の五重塔が主な目的。

瑠璃光寺五重塔は法隆寺、醍醐寺と並ぶ日本三大名塔のひとつで国宝に指定されている。
紅葉のタイミングが合えば絶景となるはず。

 

山口駅に降りて意外と地味な駅に驚き、観光案内所に行くと驚愕の事実が判明(・o・)


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五重塔は75年ぶりの大修理で、見ることができないとのこと。
自分の表情がよほどがっかりした顔だったのか、窓口の女性の気の毒そうな顔が印象的。


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とにかく瑠璃光寺のある香山公園に行ってみると、すっぽりと足場に覆われてそこだけ別世界。


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知らずに来たのか、傍らにいる観光客たちは皆一様に同じような失望の表情。


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若山牧水と司馬遼太郎の塔を讃える碑文も恨めしい。


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そのうち観光バスが来て、降りた乗客が塔のあたりを見て立ち竦んでいる。
旅行社は知らなかったんだろうか。


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広い境内を散策、紅葉にはまだ早く、この時期だけの公開だという瑠璃光寺のご秘仏と毛利家歴代の墓所を見る。


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瑠璃光寺の近くにひっそりと建っている古びた二階屋は「枕流亭」


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慶応3年に山口に来訪した西郷隆盛と小松帯刀が木戸孝允、伊藤博文らと倒幕の密談を重ねた建物で他の場所から移築されたもの。

 

昼時だったので、閑散とした広い駐車場に隣接したドライブイン風の店で、鴨そば(高くて少ない)を食べてこの場を去りました。

 

テンションが下がり、山口市街もさほど見たいものもなくこの日の宿、湯田温泉へ。

山口からJRで一駅の湯田温泉駅に到着。

宿のチェックインにはまだ早いので、この地にゆかりの深い中原中也文学館に向かう。

 

駅から歩くこと15分ほどで到着。

 

すると本日休館の表示が。

 

そうか今日は月曜日だった。・・・orz

 

背中の荷物がぐっと重くなりました。

 

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2024年11月19日 (火)

大分5日めは由布院

曇りのち晴れ、本日の最高気温は15℃。

日曜には最高気温25℃だったのが、秋を飛び越え12月の気温

 

 

九州5日めは由布院。

佐伯から大分経由で在来線で由布院へ。


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小さな駅に降り立つと、駅の改札を出た狭い構内に中国から来た人たち多数。

外に出ると歩道からもはみ出していて尋常ではない人の数。

ちょうど特急「ゆふいんの森」が入ってきている。

どうやらこの列車の乗客のようだ。

 

雨がポツリポツリと降ってきた。

 

大きな荷物を持っているので、まずコインロッカーを探す。
駅のコインロッカーはみな1200円、高い!

道路を挟んだ土産物店に荷物預かりがあるようなので、行ってみると店内のコインロッカーを案内された。こちらは500円。

この店で小さな折りたたみ傘を買う。

 

日曜日、道路は渋滞していて、歩道は東洋系の外国の人たちが大勢歩いている。

外観ではわからぬけれど、ほとんど日本語は聞こえてこない。

そのままメインの通りを歩くのは気が進まず、タクシーに乗り街中の喧騒を離れて「空想の森 アルテジオ」に行く。

 

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こは由布院郊外、森の中にある音楽に特化した美術館。


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中に入るとベートーヴェン像が迎えてくれた。


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ベン・シャーン、アンディ・ウォーホルの作品やストラヴィンスキーの肖像など。


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作品数はさほど多くはないけれど、館内には静かにバッハが流れて落ち着いた雰囲気。


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美術書がたくさん並んだ図書室には誰もおらず、ソファに座ったままウトウトと寝入ってしまった。


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近くにはモーツァルトのト短調交響曲第3楽章をあしらったオブジェ。


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美術館は人がいなかったけれど、隣のレストランは満席の盛況。


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ここでイベリコ豚のハンバーグに、カボスのジンジャーエールの昼食。


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外に出て金鱗湖に向かう。

 

由布院は盆地の里。

 

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坂道を下りながら雨の中歩くことおよそ20分。

 


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ようやく見えた金鱗湖は雨の中。


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紅葉は始まったばかり。


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人があまりにも多いので、メインストリートを避けて小さな横道に入ったら迷ってしまい、スマホのナビを使って今日の宿に向かう。

途中、小さな橋の分かれ道でどちらに行こうかと迷った時、はて、この景色はいつか夢の中で見たような・・・

これをデジャヴというのかな。

 

駅近くの小さな宿は受付が無人。

多少戸惑いながらQRコードで決裁を済ます。

後ろには韓国から来たらしきカップルが順番を待っていた。

 

部屋に入り、着替えて屋上にある野外露天風呂へ。

小さな温泉だけれど自分ひとりの貸し切り状態。


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雨が降る中浴槽に浸ると、細かな雨に煙る由布岳山頂が真正面に見えた。

 

山腹のほとんどが霧に隠れ、巨大な山頂だけが見えている。

 

まるで北斎の水墨画のような趣だ。

 

撮影はできなかったけれど、この景色は忘れられないだろうな。

 

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2024年11月17日 (日)

大分4日めは別府地獄巡り、そして佐伯で友との再会

日曜の朝、狩野川河川敷からの富士山は、久しぶりに雪を被った姿。


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今日は市内一斉清掃。

河川敷の雑草はきれいに刈り取られていた。

 

大分4日め。

この日は佐伯にいる学生時代の同級生に会う約束をしていた。

前日の甥の結婚式の時に列席した親戚から、別府駅から地獄めぐりのバスツァーがあって昼過ぎには終わる、ということを聞いて再び別府へ。

 

バスツァーで定番の別府温泉地獄巡り。

朝、別府駅から地獄めぐりのバスに乗る。


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バスの窓から見る別府市街はいたるところに湯けむりが立っていた。

別府の遊覧バスは日本初の女性ガイドを乗せたバスとのこと。
若いガイドさんの「七五調案内」の説明も昭和の雰囲気があって良い感じ。


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地獄めぐりは、旅行ガイドブックにあるそのままの彩色のさまざまな温泉。


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どれも90度を超える高熱の温泉。


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狭いエリアにそれぞれ異なった色の温泉が湧き出ているのが不思議。


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ここでは外国人観光客多数。
案内のガイドもハングルで説明をしている。


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熱源を利用してワニを飼っている。


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別府を去り大分県南部の町、佐伯市へ。


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ここでは40数年ぶりに再会した学生時代の同級生の案内で、江戸時代の櫓門の残る佐伯城本丸からの景色。


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佐伯湾は水深が深く、戦時中は海軍の軍都として栄えている。

真珠湾攻撃の時に 空母赤城ほかの機動部隊主力の艦船がこの佐伯湾に終結。
千島の単冠湾に向かっている。

 

佐伯は西南戦争の時に3ヶ月もの間両軍が激戦を繰り広げられた地。


市内にはいろいろと戦跡があるようだ。


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案内された当時の官軍戦死者墓地では、倒れている小さな墓石の多さに、かえって悽愴な雰囲気が漂っていた。

 

夜は久しぶりの再会を祝し、友いきつけの佐伯の名店「はし本」へ。


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豊後水道の海の幸を中心に大分の焼酎など。


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前菜からして手のかかったもの。


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美味しくいただきました。

 

その後河岸を変えて高級ワインの並ぶワインバーへ。


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久闊を叙して楽しく飲んで語らい、40数年の歳月は短い時間ではとても語りつくせぬほど。

時間は瞬く間に過ぎていく、

 

酒豪の彼は組織ナンバー2として未だ現役。

彼は翌日曜にも仕事を控え、名残りを惜しみつつ別れた。

 

次に会えるのはいつだろうか?

 

その日は佐伯泊。

 

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2024年11月16日 (土)

再び大分市へ大友氏館跡、そして結婚式ではホラ貝を吹く

終日曇りの土曜日。

午前中に畑に行くと小さな蹄の足跡と掘り起こしたような跡。


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どうやら昨晩イノシシが来たらしい。

幸い今は小松菜などの菜っ葉類しかないので被害はなし。

 

大分滞在三日目は再び大分市内です。


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大分市は1557年、初めて日本人による聖歌隊が組織された西洋音楽発祥の地。

大分県庁の前の記念碑。


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そして滝廉太郎終焉の地でもあります。


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今も発掘が続く大分市の戦国大名大友氏の館跡に行ってみた。


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広大な敷地に整備された庭園。


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発掘現場には重機と発掘中の人々。


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職員の方に伺うと整備完了は20年後とのこと。

 

続いて大分市街中心部にある府内城。


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大友氏が去った後に築城された平城で大手門にいくつかの櫓。


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再建された廊下橋が珍しい。


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夜は甥の結婚式に参列。

入籍は数年前に済ませているけれど、コロナ禍で式が今まで伸びてしまっていた。

歴史好きの甥夫婦に頼まれて披露宴では余興にホラ貝を吹くことになってしまった。

自分がホルン吹きだということでのことらしい。
いくらホルン吹きだといってもホラ貝は初めて。


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原理は同じなので、なんとかなるだろうと楽観していた。

なんとなく心配になって、前日にYoutubeにアップされてるホラ貝の吹き方などを見たりしていた。

どうやらホラ貝にも流派があるらしい。

 

式の直前の控え室で用意された大小二つのホラ貝を吹いてみる。

 

吹き口は同じホラ貝なのにマウスピース部分の形状がかなり異なっている。


大きい方は内径がトランペットのマウスピースに似ている。
一方の小さい方は吹き口の丸い穴がストレートに奥まで続いている感じ。

 

最初迷わず大きい方を吹いてみたけれど全然鳴らない。

焦って強く吹いたら、擦れた中にもホラ貝らしい重低音が鳴り始めた。

 

そして小さなホラ貝。


こちらはすぐに音が出た。

戦国時代のホラ貝の音としては大きい方が良いと思うけれども、ここでは大事を取って小さい方にした。

 

新郎新婦は同じ大学の先輩後輩で歴史学を専攻。


ウェディングケーキはなんと古墳と埴輪をあしらったもの。


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金色縅しの鎧兜に身を固めた甥が入場する際に、私はホラ貝を吹きました。

会場爆笑・・・


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宴が終わり宿までは歩いて帰りました。

 

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2024年11月15日 (金)

豊後路二日目、臼杵磨崖仏と臼杵の城下町

雨のち曇り、11月も半ばというのに本日の最高気温は20度。

富士山に初冠雪はあったけれど今では雪が消えて夏のような姿。

 

この画像は昨年の同じ日に静岡市から撮った富士山。


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そしてこちらは一週間前の狩野川からの姿。

今日も変わらずそのままの姿。
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大分旅行の二日目。

 

大分は国東半島を中心に数多くの摩崖仏があり国東半島のものも有名だけれど、大分駅前から直通バスが出ている国宝の臼杵の磨崖仏群に行くことする。

ここにある61体の摩崖仏全てが国宝に指定されている。

 

大分駅発8時44分の臼杵までの定期バスに乗り込む。

山奥にある臼杵石仏のバス停には9時50分頃到着。

 

平日でもあり観光客はあまりいなかった。

別府や由布院であふれかえっていた外国の人たちもここは誰もいない。


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チケットを買って100メートルほど坂道を登ると石仏の郷の全景が良く見えた。


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比較的広い平野の部分はかつて庭園と池を伴う大きな寺院があったとのこと。

しばらく眺めているうちに、遠くの寺院からゴーンという鐘の音が聞こえてきた。

 


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ここの石仏群は平安後期から鎌倉時代初期に彫られたもので、誰が彫ったのかは記録が全くなく不明だそう。


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巨大な姿に圧倒された。

当時の僧や仏師たちが一心不乱に岩を刻む姿を想像して、見ているうちにあまりにも神々しい姿に涙が出そうになってきた。


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小学校の遠足だろうか幼い子供たちが大勢石段を登っている。


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この付近一帯に心が洗われるような一種の清々しさが感じられた。

 

千年近くの雨風にさらされている石仏は今でも修復が続いている。


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臼杵磨崖仏の後、戦国大名大友宗麟の晩年の居城だった臼杵城へ。


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臼杵城は丹生島と呼ばれた島に築城された城。

今は周囲が埋め立てられている。

 

2つの櫓と復元された二の丸大手門がありしばし散策。


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島津氏に攻められた時に、大友宗麟は国崩しと呼ばれたポルトガル伝来の大砲(フランキ砲)を駆使して城を守りきっている。

 

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臼杵の街は、古い城下町の雰囲気を今に残していた。


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散策しているうちに迷路のような街並みに迷ってしまった。


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臼杵には、最後の城主稲葉氏の下屋敷がそのまま残されている。


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広い大広間は他に誰も居なかったので、そのままその場で横になりたくなった。


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床の間に掛かる軸は「不惜身命」、横綱貴乃花が口上で使って有名になった言葉だ。

 

屋敷に隣接するように臼杵の図書館が建っている。


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古色蒼然たる木製の看板。


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その横にあるこども図書館は百年前からある建物で、そのまま今でも児童図書館として使われていた。

 

その足で別府へ行き、別府駅から徒歩で竹瓦温泉へ。


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レトロな建物は、昭和13年の建築だそう。

 

別府の湯は熱かった。

 

以下続く

 

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2024年11月14日 (木)

秋の豊後界隈、小倉と大分

晴れのち曇り、天気はゆっくりと下り坂。

 

今日はオケの練習、仕事のあと市民文化センターへ。
沼津に帰ってきて久しぶりにホルンを吹いた。
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本番を指揮していただく鈴木衛先生のご指導で「新世界より」そのほか

 

 

大分で甥の結婚式が有り、先週から一週間ほど九州に行っていた。
久しぶりの九州なので何日か滞在して大分周辺を中心に回ることにした。往復ともJRを利用。

 

水曜朝早くに自宅を経ち、新幹線と在来特急を乗り継ぎ一路大分へ。
 

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昼時に小倉で途中下車して博多ラーメン。

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 ついでに第二次長州征伐で高杉晋作に攻められ落城した小倉城と庭園、復元された大名屋敷を見学。
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小倉城の天守は復興天守で必ずしも原型に忠実ではないようだけれど、この場所からの俯瞰する姿はちょうど周囲の石垣と良いバランスが取れているように思う。
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大分着は14時頃。


ホテルにチェックインして市街地にある府内温泉に行ってみた。


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なかなか見つけることができず、ビルの奥にあることを発見。

市営の古い温泉は琥珀色。

 

夕食はネットで探した居酒屋「こつこつ庵」に行ってみる。

かなりの人気店で早い時間なのに客が次々と入ってくる。

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ここでは関サバ、関アジの盛り合わせに鶏天。

そしてだんご汁など。

若い店主が気を利かせてくれて大分の郷土料理を少しずつ出してくれた。

この機転が人気の秘密なのだろう。

 

続きは次回です。

 

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2024年11月 5日 (火)

ドラティの10CD BOX アルベニスほか

晴れのち曇り。

今日の富士山、気温は下がって来たけれども未だ冠雪はなし。


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先週末から孫たちがやってきていて、遊びに行ったりその世話などで一日がたちまち終わってしまっていた。


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昨日はよく晴れて孫たちを連れて沼津の南端の戸田地区へ。


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この地は蒼い空と海が眩しいほど。


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ちょうど地域のイベントをやっていた。

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50数年前に建てられた戸田造船資料博物館は亡き父の設計によるもの。

併設の駿河湾深海生物館に子供たちは大興奮。


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ここで見たタカアシガニの脱皮の標本は映画「エイリアン」の幼体にそっくり。

 

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昼食は郷土料理の店「かにや」で海鮮丼定食。

 

Membranが出していたドラティの10CDBOXから。

Disc1と2を聴いた。
このBOXは主に米Mercuryの録音から著作権切れの音源を集めたCDで、もともとが優秀録音だったので音は良い。


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Disc1
・祝典序曲「1812年」
・イタリア奇想曲          :以上チャイコフスキー
・歌劇「泥棒かささぎ」序曲     :ロッシーニ*
・組曲「イベリア」         :アルベニス(アルボス編)*
・歌劇「はかなき人生」より間奏曲と舞曲 :ファリャ*
・歌劇「運命の力」序曲         :ヴェルディ**

  アンタル・ドラティ(指揮)
  ミネアポリス交響楽団
  ロンドン交響楽団**

   録音 1954年、1957年* 1960年**

Disc2
・組曲「展覧会の絵」  :ムソルグスキー(ラヴェル編)
・歌劇「ホヴァンシチナ」より前奏曲、ペルシャの女奴隷の踊り :ムソルグスキー
・序曲「ロシアの復活祭」*
・スペイン奇想曲*          :以上リムスキー・コルサコフ

 アンタル・ドラティ(指揮)
 ミネアポリス交響楽団
 ロンドン交響楽団*
  
  録音 1959年録音

 

このセットは多くの録音を残したドラティの最も実りの大きかったMercury時代の録音が中心、後に再録音を残さなかった曲も多数含まれている。

 

大砲の実音入りとして有名な「1812年」と「イタリア奇想曲」は、2種あるうちの1954年のモノラル録音を収録。

演奏そのものは後のステレオ録音よりも良いかもしれない。
大砲と鐘の音はこちらの録音の方がかなり派手。

「展覧会の絵」は沼響のHPの聴き比べ記事でも取り上げたけれど「キエフの大きな門」の終結部で大太鼓の前打音を譜面に忠実に演奏させているかなり初期の録音。

オケが正確に鳴り切ってどれも駄作というものがないドラティの指揮。

あらためて凄い指揮者だったと思う。

アルベニスはアルボスの管弦楽編を取り上げているが、同じアルボス編のアンセルメの録音と比べると細部に多少の手を加えているようだ。

 

概ね音は良いけれど、トラック間のインターバルが長くて「キエフの大きな門」の入る直前に長い沈黙が入るのにははなはだ興を削ぐ。

 

明日から一週間ほど更新を休みます。

 

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2024年11月 1日 (金)

本日の練習、本番一ヶ月前

今日から11月。

晴れのち曇り、夕方から雨。

11月に入っても気温は高めで本日の最高は24度。

明日は大雨の予報。

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今日はオフ、所用があって沼津港まで行っていた。

平日で連休の前なのでさほど混んでなくて無料駐車場のエリアに車を駐めることができた。


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富士山は雲に隠れて見えない。

用が済んだ後は夕飯のおかずに金目鯛の味噌漬けを買った。
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夕方に大分に住む大学時代の同級生から電話有り。

来週に甥の結婚式が大分であって、そのついでに彼に会う予定。

卒業以来久しぶりに声を聞いたけれど、すぐに彼とわかった。

 

昨晩はオケの練習。

本番を指揮していただく鈴木衛先生の指揮。


場所は沼津市民文化センター小ホール。


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ちょうど本番から一ヶ月前なので全曲をそのまま通す。

自分は仕事で遅れて後半の「新世界より」からの参加。

前回の良い感じがそのまま持ち越して全体としては仕上がってきた感触。

 

Youtubeはエッシェンバッハ指揮hr響による「新世界より」

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