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2024年11月15日 (金)

豊後路二日目、臼杵磨崖仏と臼杵の城下町

雨のち曇り、11月も半ばというのに本日の最高気温は20度。

富士山に初冠雪はあったけれど今では雪が消えて夏のような姿。

 

この画像は昨年の同じ日に静岡市から撮った富士山。


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そしてこちらは一週間前の狩野川からの姿。

今日も変わらずそのままの姿。
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大分旅行の二日目。

 

大分は国東半島を中心に数多くの摩崖仏があり国東半島のものも有名だけれど、大分駅前から直通バスが出ている国宝の臼杵の磨崖仏群に行くことする。

ここにある61体の摩崖仏全てが国宝に指定されている。

 

大分駅発8時44分の臼杵までの定期バスに乗り込む。

山奥にある臼杵石仏のバス停には9時50分頃到着。

 

平日でもあり観光客はあまりいなかった。

別府や由布院であふれかえっていた外国の人たちもここは誰もいない。


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チケットを買って100メートルほど坂道を登ると石仏の郷の全景が良く見えた。


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比較的広い平野の部分はかつて庭園と池を伴う大きな寺院があったとのこと。

しばらく眺めているうちに、遠くの寺院からゴーンという鐘の音が聞こえてきた。

 


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ここの石仏群は平安後期から鎌倉時代初期に彫られたもので、誰が彫ったのかは記録が全くなく不明だそう。


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巨大な姿に圧倒された。

当時の僧や仏師たちが一心不乱に岩を刻む姿を想像して、見ているうちにあまりにも神々しい姿に涙が出そうになってきた。


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小学校の遠足だろうか幼い子供たちが大勢石段を登っている。


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この付近一帯に心が洗われるような一種の清々しさが感じられた。

 

千年近くの雨風にさらされている石仏は今でも修復が続いている。


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臼杵磨崖仏の後、戦国大名大友宗麟の晩年の居城だった臼杵城へ。


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臼杵城は丹生島と呼ばれた島に築城された城。

今は周囲が埋め立てられている。

 

2つの櫓と復元された二の丸大手門がありしばし散策。


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島津氏に攻められた時に、大友宗麟は国崩しと呼ばれたポルトガル伝来の大砲(フランキ砲)を駆使して城を守りきっている。

 

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臼杵の街は、古い城下町の雰囲気を今に残していた。


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散策しているうちに迷路のような街並みに迷ってしまった。


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臼杵には、最後の城主稲葉氏の下屋敷がそのまま残されている。


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広い大広間は他に誰も居なかったので、そのままその場で横になりたくなった。


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床の間に掛かる軸は「不惜身命」、横綱貴乃花が口上で使って有名になった言葉だ。

 

屋敷に隣接するように臼杵の図書館が建っている。


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古色蒼然たる木製の看板。


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その横にあるこども図書館は百年前からある建物で、そのまま今でも児童図書館として使われていた。

 

その足で別府へ行き、別府駅から徒歩で竹瓦温泉へ。


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レトロな建物は、昭和13年の建築だそう。

 

別府の湯は熱かった。

 

以下続く

 

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