バルビローリのシベリウス、交響曲第5番のティンパニの扱いについて
今日から4月。
朝から雨、山間部では雪の予報。
土曜からの寒さはそのまま続き昨日の最高気温は11℃。
先週末は孫達が来ていて土日はほとんど孫の世話だった。
日曜日、散歩の途中に孫がツクシを見つけた。
そして源平桃の花。
先週は夏日を記録してもう春だと思っていたら、今週はこの寒さ。
今日は再び冬のコートを着て出勤。
年度が変わりニューフェイスが5人ほど。
昨日はオフで沼響の後援組織である、友の会へ送るチケットに御招待のゴム印を押したり、
会報の折り込みなどをしていた。
先日、今回の定演のメイン曲のシベリウスの交響曲第5番をバルビローリの演奏で聴いて、以前の印象とあまりにも異なっていたので戸惑っている。
そもそもバルビローリで交響曲第5番を知り、曲が好きになった思い出の演奏なのに。
実際に練習を始めてみて、譜面の細かな部分をあらためて読み直すうちに、自分のこの曲に対するアプローチが劇的に変わったのを実感する。
最近、練習の参考としてYoutubeにアップされている映像付きの新しい演奏をよく聴く。
いずれも曖昧さのない緻密なアンサンブルで聴かせる高水準な演奏ばかり。
バルビローリの、曲への深い共感から来るロマンティックな演奏も良いけれど、粘着気味で細部の彫琢に多少の甘さの残るシベリウス解釈が、今の自分の趣味に合わなくなっているようだ。
このことは、実際に演奏したシベリウスの交響曲第2番の時には感じなかったこと。
バルビローリの交響曲第5番の中で特に気になるのはティンパニの扱い。
気になってスコア片手に聴いてみた。
先日聴いたのは、自分が中学時代に買ったティチクの国内盤LP。
音がぼやけ気味なので、今度は同じ演奏をダットンラボラトリーのCDで聴く。
このCDではリマスターの結果、音がすっきりしてティンパニも多少聞えるようにはなっている。
だが、聴いているうちに何カ所かでティンパニパートが落ちているのに気がついた。
シベリウスの交響曲第5番の練習をしていて、楽譜にいろいろ不自然な部分があるのは気がついてはいた。
シベリウスの楽譜について、以前交響曲第2番を演奏した時にも気がついていたけれど、5番は2番以上。
中でもバルビローリの演奏で驚いたのは第3楽章で、コントラバスの動機に続いてティンパニが8分音符で叩く練習番号D(104-105小節め)の5つの音がすっぽり抜け落ちている。
バルビローリ録音では、EMI録音とBBCライヴも同じようにこの部分のティンパニは入っていない。
この部分の、特に105小節めのティンパニのミ♭は、ホルンの最初の音に重なる重要な音。
スコア上ではmfだけれど、最近の演奏ではこのティンパニをフォルテで叩かせている指揮者もいるほど。
沼響の練習では、このティンパニの連打のテンポに合わせてホルンは入るようにしている。
ここで気になって、手持ちのいくつかの演奏の第3楽章のこの部分のみを聴いてみた。
その結果、バルビローリの録音と同時代以前の指揮者の録音には、この部分のティンパニは入っていないことが判った。
エールリンク、ハンニカイネン、バーンスタイン、カラヤンなど。
他にいくつか聴いてみると、サロネンはこのティンパニをかなり強く強打させていた。
作曲家でもあるサロネンの見識だと思う。
改めて凄いと思ったのは、シベリウスの楽譜の校訂もおこなっているベルグルンドの演奏。
ベルグルンドには3種類のシベリウスの交響曲全集があるけれど、ヘルシンキフィルの演奏では104小節めの連符を強打させながらも、105小節のホルンと重なる音のみ小さく叩かせていた。
シベリウスの楽譜の校訂もおこなっているベルグルンド。
さすがである。
結局いくつかの校訂を経て、今はバルビローリ時代の楽譜とは別物になっているのだろう。
ブライトコップ社の新全集版を入手してみたくなってきた。
Youtubeはラトル指揮ベルリンフィルのシベリウス、交響曲第5番第3楽章。ティンパニ入っています。
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