カテゴリー「旅行・地域」の記事

2025年8月 7日 (木)

広島そして岡山へ

晴時々曇り、一時僅かに小雨。

ここしばらく雨は降っていない。今日は期待したほどの雨は降らなかった。

昨日の静岡市の最高気温は41.4℃

関西方面旅行記の続きです。

 

8月に変わり旅行3日目は広島へ。

新神戸を出発し昼前には広島駅に到着。
広島も暑い。

駅のコインロッカーに荷物を入れて観光案内所で最新の情報を入手。


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周遊バスで平和記念公園へ。


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選んだのは資料館を見て原爆ドームへ向かう定番のコース。


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平和記念公園の会場はちょうど6日の記念式典の準備中だった。


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路面電車で広島駅に戻り、再びJR広島駅から岩国方面の電車に乗りJR宮島口駅で下車。


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駅の近くの老舗「うえの」で穴子めしの遅い昼食。

 

そのままフェリーで厳島神社へ。


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およそ厳島神社は40年ぶりの再訪。

雲が出てきて遠くでカミナリが鳴っていた。

引いたおみくじは凶だった。


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人になついた小鹿が多数。外国人も多数。

一時間ほどで見学を済ませ宿に向かう。


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宿では厳島神社のナイトクルーズがセットになっている。

 

舟は夜9時半にホテルの桟橋を出発。


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空には半月、海はベタ凪だ。

滑るように船は大鳥居へ向かう。

頰に触れる海風が心地よい。


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ライトアップされた大鳥居を、陸からは見ることができない正面からの至近距離で見ることができた。

 

一泊して翌日は岡山で途中下車。

路面電車で岡山城へ。


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岡山もおよそ30年ぶり。

以前は古びたような黒い天守だったのが、令和に入っての改修でピカピカになっていた。

中の資料館は当地出身の歴史学者の磯田道史氏の監修で完全にリニューアルされていた。

 

天守の最上階から近くの後楽園を見下ろすと、この酷暑、ほとんど人が歩いていない。

 

けれどもせっかくだから後楽園まで。


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30年前に団子を食べたボート乗り場の茶店は、多くの外国人客で混んでいてメニューも大幅に変わっている。

かつて感じた素朴な雰囲気は失せていた。

ここは南口。

正面入り口へ向かって入場を済ませ近くの売店で土産用の「きびだんご」を一袋買ってその場で食べた。

ごく普通の黄粉団子。

 

しばし園内を散策。


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夜にイベントを計画しているらしく白いボール状の照明が目に付いた。

やはり日本三大名園にふさわしい余裕と品格の感じられる庭園だった。

なにせこの暑さ、庭園内は人が少なかった。

岡山駅で駅弁を買って車中で食事、自宅到着は8時前。

 

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2025年8月 5日 (火)

55年ぶりの大阪万博

今年は最高気温が40℃を越える地方が増えて異常な夏。
昼間吹く風はほとんど熱風、屋外の蛇口をひねるとしばらくお湯が出るほど。

 

先週強行軍の万博から家に帰るとどっと疲れが出た。
おまけに風邪を引いたらしい。微熱とのどの痛み有り。

 

 

先週木曜は大阪万博。
前回の1970年大阪万博は小学生の時に行っている。
未だにその時の印象は強烈。

 

今回は10時からの入場予約。
神戸の叔母の家を9時前に出て、電車を乗り継ぎながら会場へ。
入口でしばらく並んで10時半頃には入場することができた。


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パビリオンの事前予約は全滅。

まず予約なしで入場できるフランス館に行くと既に60分待ちの列。

とにかくたくさん回ろうという魂胆なので、最初はマイナーなパビリオン中心に決めていた。
フィリピン館、マレーシア館などいずれも20分程度の待ち時間で入場。

 

マレーシア館で買ったドリアン・アイスクリームが、沼津市西沢田にある会社の製造でびっくり。700円。


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続いてアフリカや南太平洋上の小さな国々が集まったコモンズAに入る。
力の入っている国とそうでない国との落差はあったけれど、それぞれ工夫を凝らした展示が面白い。
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昼食はアゼルバイジャン館内のカフェにした。

このカフェはわかりにくい場所にあるためか、さほど混んでいない。


カフェの場所は前日に万博会場を訪れた娘の情報によるもの。


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アゼルバイジャンの民俗料理(ピラフ風)の海苔を巻いたおにぎりに、アゼルパイジャンティー

隣に座っている青年の飲むワインがよさそうだったのでワインとオリーヴを追加。

 

選んだアゼルバイジャンワインはロゼをセレクト。
ナッツが入り塩味の効いたアゼルバイジャン産のオリーヴが旨かった。

外に出てチェコ館に入る。

ここは現代美術作品の展示が中心。

 

特に印象はないけれどチェコビールのピルスナー・ウスケルを満喫。
1杯1,450円。


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アルコールが入ってもすぐに汗で出てしまうので酔うことができない。

 

お目当てのひとつ近くのオーストリア館は入場制限中。

隣のスイス館へ。
ここはすんなり入れた。見た後にオーストリア館に行ってもまだまだ入場制限中。

やむなく周辺のポルトガル、トルクメニスタン、コロンビアなどのマイナー系を制覇。

 

中でもコロナ感染者ゼロだという謎の独裁国家、トルクメニスタンが面白かった。

ここは個人の入国が自由にできない国。

映像の押しの強さと犬と馬を極端に崇拝しているのが個性的だった。


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手抜き感のあるポルトガル館を出ると建物の上の方でギター演奏。


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次はコロンビア館、ここではノーベル賞作家ガルシア・マルケスの使っていたタイプライターを見た。土産ものは豊富。

 

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3時を過ぎて風も吹いてきた。

一旦大屋根リングに上ってみる。


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風が吹いていて気持ちが良い。歩く人も増えてきたようだ。


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下に降りてオーストリア館はあいかわらず入場規制中だけれど、しばらく近くで待つことにした。

待ってから10分ほどで入場規制解除。

その後20分ほどで中に入れた。


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ここでは葛飾北斎バージョンのベーゼンドルファーのグランドピアノで、モーツァルトのピアノ協奏曲での自動演奏。やはり音楽系の展示が多い。

ショップではベーゼンドルファー社製だというソフビ人形を見た。


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百均でも売っている子どもがお風呂で遊ぶようなチャチなものだけれど、ベートーヴェン、モーツァルト、ヨハン・シュトラウスなどのバリエーション。それがひとつ4,800円と聞いてびっくり。

ひとつひとつ手塗りだとの店員の言葉・・・・

自分には全部同じようにしか見えないけれどモーツァルトを購入。

 

暗くなりはじめた。

 

最初に足が向いたフランス館に行くと、係の人の15分で入れますとの言葉で並ぶことにした。
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樹齢2300年のオリーヴの樹木からは、人を元気にする微生物の成分が分泌されているとのことで、多くの人が手に触れている。


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お腹も空いたのでここのベーカリーショップで、生ハムのせのフランスパンとクロワッサンなどを買うと5,500円だった。

とにかく万博の食べ物は高い。

ベンチでパンを頬張っていると花火がボンボンと鳴り始めた。

万博は夜の10時までだけれど8時になると花火を打ち上げるらしい。

 

花火が終わると多くの人が一斉に帰りはじめた。

餌に群がるアリのように一斉に地下鉄夢洲駅に向かう多くの人々。

 

電車を乗り継ぎ神戸の叔母宅に着いたのは9時半過ぎ。

自分と飲むのを楽しみに待っていた叔父は既に就寝。

 

叔母が出してくれたサッポロビールがうまかった。

小学校の時のEXPO70万博ほどの新鮮なインパクトはなかったけれど、それなりに楽しめた万博でした。

 

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2025年8月 3日 (日)

夏の関西方面周遊、京都そして大阪万博のことなど。

7月の終わりから今月にかけて、大阪万博を中心に関西方面を巡っていました。

前半は神戸の叔母の家を拠点に京都と大阪万博。

水曜は早起きして一路京都へ。

途中、新幹線の車中で緊急津波警報が入ってきた。

震源は遠いけれど巨大地震のため津波の影響ありということらしい。

あとで聞いたら沼津は避難指示が出て、バスや東海道線などの公共交通機関が
一時的にストップ。スーパーも閉まったとのこと。

そんなことはつゆ知らず、9時37分京都駅着。


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最初に11年ぶりの開放となった洛北、紙屋川近くの峰玉亭。

西陣織のウールお召の開発で財を成した、故松山政雄による贅を尽くした庭園とお屋敷を見学。

 

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峰玉亭は訪れたお得意様相手の迎賓館。


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さほど知られていないのか、京都のあちらこちらで見かけた外国人の姿はいない。

狩野派の多くの絵画の中に竹内栖鳳、円山応挙などの書や絵画がさりげなく飾ってある。

広げた帯や着物を美しく見せる仕掛けの数々が面白い。


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非常に凝った建物だけれど、松山政雄は建物の完成を見ずに53歳の若さで世を去っている。

 

昼食はすぐ近くの川床


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この日の京都の最高気温は39度。
京都でもここは比較的涼しい場所のようだ。


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相席になったのは三重から来たという82歳のお爺さんと若い孫娘さん。

昨日大阪万博に行ってきたとのこと。
幸せそうなお爺さんの表情が印象的だった。


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続いて東本願寺別邸「渉成園(枳殻邸)」へ。

つい最近まで東本願寺門主の親族の住まいだったので公開されたのは最近とのこと。

邸内にあるいくつかの建物は整備も未了で荒れている様子だった。


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とにかく暑い。

そのまま京都駅前の京都タワーに上る。

若い頃、出張ついでにここの階下のレストランで生ビールを飲んだことを思い出した。
あの頃の夏はさほど暑くなかった。

 

その日は神戸に住む叔母の家に宿泊。

 

夕食は芦屋にあるステーキハウスで、本格的な神戸牛をごちそうになった。

 

齢八十を超える叔父は、高校の頃から吹奏楽部でオーボエを吹き大学ではオケに所属。
テレマン室内オーケストラのメンバーにも師事したという。

今はさすがに楽器は吹かないけれど、音楽仲間とは月に一度は食事会を開いているとのこと。

 

神戸の叔父に会うのは親戚の法事の時くらいで、じっくり話をしたのはほとんど初めて。

会社を経営者していていろいろと話題が豊富。

音楽ばなしや阪神大震災のことその他、楽しい時間を過ごさせていただきました。

 

翌日は大阪万博。

 

長くなりそうなので詳細は次回。

 

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2024年11月23日 (土)

旅の終わり、山口の湯田温泉で所郁太郎

11月も半ばが過ぎた。

ポコの餌を買いに近くのDIYショップに行くと、クリスマスグッズや正月飾りが並んでいる。

先日まで25℃近い日が続いていたので冬が到来する実感はない。

 

昨日は暖かな小春日和の一日。


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暖かな中でポコは昼寝ばかり。

ときおり薄目を開けてこちらを見ている。

 

オケの本番が近づき土曜の夜はオーケストラ。

練習場所は隣町の長泉町にあるベルフォーレ。
18時の練習開始。

メインの「新世界より」を中心に通す。


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ここのホールは小さいながら適度な残響があり響きが良い。

 

 

旅行最終日です。

 

湯田温泉の街をトボトボと歩いているとやたらと碑文の多い公園を見つけた。

 

井上公園とあり、明治の元勲井上馨の生家跡のようだ。


この地にゆかりの深い、種田山頭火や中原中也の歌碑などのほか、井上馨の立派な像。

 

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その傍らにあった碑に目が釘付けになった。

 

それは司馬遼太郎の短編「美濃浪人」で知られる適塾で医術を学んだ志士、所郁太郎の顕彰碑。

 

所郁太郎は刺客に襲われ重傷となった井上馨を、その場にあった畳針で傷を縫い合わせ、命を救った。


高杉晋作の参謀として活動した所郁太郎はこの翌年病死。


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司馬遼太郎の作品はその後「無名の人」として中学校の教科書にも載った。

 

このような場所で所郁太郎の名を見つけて、ちょっぴり感動。

 

宿にチェックインの後は温泉にゆっくりつかり、翌日は湯田温泉駅9時40分発。

いささか旅疲れもあって、もうどこにも寄らず一路沼津へ。

 

帰りの新幹線は平日にもかかわらず檄混み。

多くは大きな荷物を抱えた外国人旅行客。

 

ある程度予想は出来ていたので帰りは全て指定席を取っていた。

新山口駅から横は中国人の若者二人。

名古屋の駅ホームで昼食用のカツサンドを買って、乗り換えた新幹線では横にドイツ人のご夫婦。

 

沼津は15時02分着。

 

この一週間音楽はほとんど聴いていない。
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旅の4日目ぐらいに、なんとなく音楽が聴きたくなって眠れなくなってしまった。

ネットからアリス=紗良・オットの「ナイトフォール」と題するアルバムからドビュッシーを見つけ、スマホを枕元に置いて聴いて寝た。

 

Youtubeはアリス=紗良・オットの弾くドビュッシーの「夢想」

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2024年11月21日 (木)

旅の終わりは山口へ

曇りのち晴れ、最高気温19℃、最低気温は10℃。

木曜夜はオーケストラ。

いよいよ本番が近づき鈴木衛先生の指揮で前半のワーグナーを中心に。


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今日はハープが入った。

 

 

 

旅行6日めは九州から離れ帰路の途中に山口に寄ってみた。


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室町時代に大きな勢力を誇った守護大名、大内氏の手になる西の京と言われる山口の町。

その町並みと当時の建物として今に残る、瑠璃光寺の五重塔が主な目的。

瑠璃光寺五重塔は法隆寺、醍醐寺と並ぶ日本三大名塔のひとつで国宝に指定されている。
紅葉のタイミングが合えば絶景となるはず。

 

山口駅に降りて意外と地味な駅に驚き、観光案内所に行くと驚愕の事実が判明(・o・)


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五重塔は75年ぶりの大修理で、見ることができないとのこと。
自分の表情がよほどがっかりした顔だったのか、窓口の女性の気の毒そうな顔が印象的。


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とにかく瑠璃光寺のある香山公園に行ってみると、すっぽりと足場に覆われてそこだけ別世界。


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知らずに来たのか、傍らにいる観光客たちは皆一様に同じような失望の表情。


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若山牧水と司馬遼太郎の塔を讃える碑文も恨めしい。


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そのうち観光バスが来て、降りた乗客が塔のあたりを見て立ち竦んでいる。
旅行社は知らなかったんだろうか。


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広い境内を散策、紅葉にはまだ早く、この時期だけの公開だという瑠璃光寺のご秘仏と毛利家歴代の墓所を見る。


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瑠璃光寺の近くにひっそりと建っている古びた二階屋は「枕流亭」


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慶応3年に山口に来訪した西郷隆盛と小松帯刀が木戸孝允、伊藤博文らと倒幕の密談を重ねた建物で他の場所から移築されたもの。

 

昼時だったので、閑散とした広い駐車場に隣接したドライブイン風の店で、鴨そば(高くて少ない)を食べてこの場を去りました。

 

テンションが下がり、山口市街もさほど見たいものもなくこの日の宿、湯田温泉へ。

山口からJRで一駅の湯田温泉駅に到着。

宿のチェックインにはまだ早いので、この地にゆかりの深い中原中也文学館に向かう。

 

駅から歩くこと15分ほどで到着。

 

すると本日休館の表示が。

 

そうか今日は月曜日だった。・・・orz

 

背中の荷物がぐっと重くなりました。

 

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2024年11月19日 (火)

大分5日めは由布院

曇りのち晴れ、本日の最高気温は15℃。

日曜には最高気温25℃だったのが、秋を飛び越え12月の気温

 

 

九州5日めは由布院。

佐伯から大分経由で在来線で由布院へ。


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小さな駅に降り立つと、駅の改札を出た狭い構内に中国から来た人たち多数。

外に出ると歩道からもはみ出していて尋常ではない人の数。

ちょうど特急「ゆふいんの森」が入ってきている。

どうやらこの列車の乗客のようだ。

 

雨がポツリポツリと降ってきた。

 

大きな荷物を持っているので、まずコインロッカーを探す。
駅のコインロッカーはみな1200円、高い!

道路を挟んだ土産物店に荷物預かりがあるようなので、行ってみると店内のコインロッカーを案内された。こちらは500円。

この店で小さな折りたたみ傘を買う。

 

日曜日、道路は渋滞していて、歩道は東洋系の外国の人たちが大勢歩いている。

外観ではわからぬけれど、ほとんど日本語は聞こえてこない。

そのままメインの通りを歩くのは気が進まず、タクシーに乗り街中の喧騒を離れて「空想の森 アルテジオ」に行く。

 

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こは由布院郊外、森の中にある音楽に特化した美術館。


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中に入るとベートーヴェン像が迎えてくれた。


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ベン・シャーン、アンディ・ウォーホルの作品やストラヴィンスキーの肖像など。


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作品数はさほど多くはないけれど、館内には静かにバッハが流れて落ち着いた雰囲気。


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美術書がたくさん並んだ図書室には誰もおらず、ソファに座ったままウトウトと寝入ってしまった。


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近くにはモーツァルトのト短調交響曲第3楽章をあしらったオブジェ。


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美術館は人がいなかったけれど、隣のレストランは満席の盛況。


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ここでイベリコ豚のハンバーグに、カボスのジンジャーエールの昼食。


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外に出て金鱗湖に向かう。

 

由布院は盆地の里。

 

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坂道を下りながら雨の中歩くことおよそ20分。

 


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ようやく見えた金鱗湖は雨の中。


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紅葉は始まったばかり。


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人があまりにも多いので、メインストリートを避けて小さな横道に入ったら迷ってしまい、スマホのナビを使って今日の宿に向かう。

途中、小さな橋の分かれ道でどちらに行こうかと迷った時、はて、この景色はいつか夢の中で見たような・・・

これをデジャヴというのかな。

 

駅近くの小さな宿は受付が無人。

多少戸惑いながらQRコードで決裁を済ます。

後ろには韓国から来たらしきカップルが順番を待っていた。

 

部屋に入り、着替えて屋上にある野外露天風呂へ。

小さな温泉だけれど自分ひとりの貸し切り状態。


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雨が降る中浴槽に浸ると、細かな雨に煙る由布岳山頂が真正面に見えた。

 

山腹のほとんどが霧に隠れ、巨大な山頂だけが見えている。

 

まるで北斎の水墨画のような趣だ。

 

撮影はできなかったけれど、この景色は忘れられないだろうな。

 

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2024年11月17日 (日)

大分4日めは別府地獄巡り、そして佐伯で友との再会

日曜の朝、狩野川河川敷からの富士山は、久しぶりに雪を被った姿。


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今日は市内一斉清掃。

河川敷の雑草はきれいに刈り取られていた。

 

大分4日め。

この日は佐伯にいる学生時代の同級生に会う約束をしていた。

前日の甥の結婚式の時に列席した親戚から、別府駅から地獄めぐりのバスツァーがあって昼過ぎには終わる、ということを聞いて再び別府へ。

 

バスツァーで定番の別府温泉地獄巡り。

朝、別府駅から地獄めぐりのバスに乗る。


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バスの窓から見る別府市街はいたるところに湯けむりが立っていた。

別府の遊覧バスは日本初の女性ガイドを乗せたバスとのこと。
若いガイドさんの「七五調案内」の説明も昭和の雰囲気があって良い感じ。


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地獄めぐりは、旅行ガイドブックにあるそのままの彩色のさまざまな温泉。


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どれも90度を超える高熱の温泉。


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狭いエリアにそれぞれ異なった色の温泉が湧き出ているのが不思議。


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ここでは外国人観光客多数。
案内のガイドもハングルで説明をしている。


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熱源を利用してワニを飼っている。


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別府を去り大分県南部の町、佐伯市へ。


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ここでは40数年ぶりに再会した学生時代の同級生の案内で、江戸時代の櫓門の残る佐伯城本丸からの景色。


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佐伯湾は水深が深く、戦時中は海軍の軍都として栄えている。

真珠湾攻撃の時に 空母赤城ほかの機動部隊主力の艦船がこの佐伯湾に終結。
千島の単冠湾に向かっている。

 

佐伯は西南戦争の時に3ヶ月もの間両軍が激戦を繰り広げられた地。


市内にはいろいろと戦跡があるようだ。


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案内された当時の官軍戦死者墓地では、倒れている小さな墓石の多さに、かえって悽愴な雰囲気が漂っていた。

 

夜は久しぶりの再会を祝し、友いきつけの佐伯の名店「はし本」へ。


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豊後水道の海の幸を中心に大分の焼酎など。


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前菜からして手のかかったもの。


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美味しくいただきました。

 

その後河岸を変えて高級ワインの並ぶワインバーへ。


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久闊を叙して楽しく飲んで語らい、40数年の歳月は短い時間ではとても語りつくせぬほど。

時間は瞬く間に過ぎていく、

 

酒豪の彼は組織ナンバー2として未だ現役。

彼は翌日曜にも仕事を控え、名残りを惜しみつつ別れた。

 

次に会えるのはいつだろうか?

 

その日は佐伯泊。

 

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2024年11月16日 (土)

再び大分市へ大友氏館跡、そして結婚式ではホラ貝を吹く

終日曇りの土曜日。

午前中に畑に行くと小さな蹄の足跡と掘り起こしたような跡。


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どうやら昨晩イノシシが来たらしい。

幸い今は小松菜などの菜っ葉類しかないので被害はなし。

 

大分滞在三日目は再び大分市内です。


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大分市は1557年、初めて日本人による聖歌隊が組織された西洋音楽発祥の地。

大分県庁の前の記念碑。


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そして滝廉太郎終焉の地でもあります。


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今も発掘が続く大分市の戦国大名大友氏の館跡に行ってみた。


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広大な敷地に整備された庭園。


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発掘現場には重機と発掘中の人々。


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職員の方に伺うと整備完了は20年後とのこと。

 

続いて大分市街中心部にある府内城。


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大友氏が去った後に築城された平城で大手門にいくつかの櫓。


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再建された廊下橋が珍しい。


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夜は甥の結婚式に参列。

入籍は数年前に済ませているけれど、コロナ禍で式が今まで伸びてしまっていた。

歴史好きの甥夫婦に頼まれて披露宴では余興にホラ貝を吹くことになってしまった。

自分がホルン吹きだということでのことらしい。
いくらホルン吹きだといってもホラ貝は初めて。


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原理は同じなので、なんとかなるだろうと楽観していた。

なんとなく心配になって、前日にYoutubeにアップされてるホラ貝の吹き方などを見たりしていた。

どうやらホラ貝にも流派があるらしい。

 

式の直前の控え室で用意された大小二つのホラ貝を吹いてみる。

 

吹き口は同じホラ貝なのにマウスピース部分の形状がかなり異なっている。


大きい方は内径がトランペットのマウスピースに似ている。
一方の小さい方は吹き口の丸い穴がストレートに奥まで続いている感じ。

 

最初迷わず大きい方を吹いてみたけれど全然鳴らない。

焦って強く吹いたら、擦れた中にもホラ貝らしい重低音が鳴り始めた。

 

そして小さなホラ貝。


こちらはすぐに音が出た。

戦国時代のホラ貝の音としては大きい方が良いと思うけれども、ここでは大事を取って小さい方にした。

 

新郎新婦は同じ大学の先輩後輩で歴史学を専攻。


ウェディングケーキはなんと古墳と埴輪をあしらったもの。


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金色縅しの鎧兜に身を固めた甥が入場する際に、私はホラ貝を吹きました。

会場爆笑・・・


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宴が終わり宿までは歩いて帰りました。

 

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2024年11月15日 (金)

豊後路二日目、臼杵磨崖仏と臼杵の城下町

雨のち曇り、11月も半ばというのに本日の最高気温は20度。

富士山に初冠雪はあったけれど今では雪が消えて夏のような姿。

 

この画像は昨年の同じ日に静岡市から撮った富士山。


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そしてこちらは一週間前の狩野川からの姿。

今日も変わらずそのままの姿。
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大分旅行の二日目。

 

大分は国東半島を中心に数多くの摩崖仏があり国東半島のものも有名だけれど、大分駅前から直通バスが出ている国宝の臼杵の磨崖仏群に行くことする。

ここにある61体の摩崖仏全てが国宝に指定されている。

 

大分駅発8時44分の臼杵までの定期バスに乗り込む。

山奥にある臼杵石仏のバス停には9時50分頃到着。

 

平日でもあり観光客はあまりいなかった。

別府や由布院であふれかえっていた外国の人たちもここは誰もいない。


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チケットを買って100メートルほど坂道を登ると石仏の郷の全景が良く見えた。


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比較的広い平野の部分はかつて庭園と池を伴う大きな寺院があったとのこと。

しばらく眺めているうちに、遠くの寺院からゴーンという鐘の音が聞こえてきた。

 


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ここの石仏群は平安後期から鎌倉時代初期に彫られたもので、誰が彫ったのかは記録が全くなく不明だそう。


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巨大な姿に圧倒された。

当時の僧や仏師たちが一心不乱に岩を刻む姿を想像して、見ているうちにあまりにも神々しい姿に涙が出そうになってきた。


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小学校の遠足だろうか幼い子供たちが大勢石段を登っている。


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この付近一帯に心が洗われるような一種の清々しさが感じられた。

 

千年近くの雨風にさらされている石仏は今でも修復が続いている。


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臼杵磨崖仏の後、戦国大名大友宗麟の晩年の居城だった臼杵城へ。


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臼杵城は丹生島と呼ばれた島に築城された城。

今は周囲が埋め立てられている。

 

2つの櫓と復元された二の丸大手門がありしばし散策。


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島津氏に攻められた時に、大友宗麟は国崩しと呼ばれたポルトガル伝来の大砲(フランキ砲)を駆使して城を守りきっている。

 

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臼杵の街は、古い城下町の雰囲気を今に残していた。


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散策しているうちに迷路のような街並みに迷ってしまった。


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臼杵には、最後の城主稲葉氏の下屋敷がそのまま残されている。


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広い大広間は他に誰も居なかったので、そのままその場で横になりたくなった。


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床の間に掛かる軸は「不惜身命」、横綱貴乃花が口上で使って有名になった言葉だ。

 

屋敷に隣接するように臼杵の図書館が建っている。


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古色蒼然たる木製の看板。


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その横にあるこども図書館は百年前からある建物で、そのまま今でも児童図書館として使われていた。

 

その足で別府へ行き、別府駅から徒歩で竹瓦温泉へ。


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レトロな建物は、昭和13年の建築だそう。

 

別府の湯は熱かった。

 

以下続く

 

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2024年11月14日 (木)

秋の豊後界隈、小倉と大分

晴れのち曇り、天気はゆっくりと下り坂。

 

今日はオケの練習、仕事のあと市民文化センターへ。
沼津に帰ってきて久しぶりにホルンを吹いた。
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本番を指揮していただく鈴木衛先生のご指導で「新世界より」そのほか

 

 

大分で甥の結婚式が有り、先週から一週間ほど九州に行っていた。
久しぶりの九州なので何日か滞在して大分周辺を中心に回ることにした。往復ともJRを利用。

 

水曜朝早くに自宅を経ち、新幹線と在来特急を乗り継ぎ一路大分へ。
 

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昼時に小倉で途中下車して博多ラーメン。

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 ついでに第二次長州征伐で高杉晋作に攻められ落城した小倉城と庭園、復元された大名屋敷を見学。
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小倉城の天守は復興天守で必ずしも原型に忠実ではないようだけれど、この場所からの俯瞰する姿はちょうど周囲の石垣と良いバランスが取れているように思う。
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大分着は14時頃。


ホテルにチェックインして市街地にある府内温泉に行ってみた。


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なかなか見つけることができず、ビルの奥にあることを発見。

市営の古い温泉は琥珀色。

 

夕食はネットで探した居酒屋「こつこつ庵」に行ってみる。

かなりの人気店で早い時間なのに客が次々と入ってくる。

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ここでは関サバ、関アジの盛り合わせに鶏天。

そしてだんご汁など。

若い店主が気を利かせてくれて大分の郷土料理を少しずつ出してくれた。

この機転が人気の秘密なのだろう。

 

続きは次回です。

 

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