カテゴリー「旅行・地域」の記事

2024年11月23日 (土)

旅の終わり、山口の湯田温泉で所郁太郎

11月も半ばが過ぎた。

ポコの餌を買いに近くのDIYショップに行くと、クリスマスグッズや正月飾りが並んでいる。

先日まで25℃近い日が続いていたので冬が到来する実感はない。

 

昨日は暖かな小春日和の一日。


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暖かな中でポコは昼寝ばかり。

ときおり薄目を開けてこちらを見ている。

 

オケの本番が近づき土曜の夜はオーケストラ。

練習場所は隣町の長泉町にあるベルフォーレ。
18時の練習開始。

メインの「新世界より」を中心に通す。


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ここのホールは小さいながら適度な残響があり響きが良い。

 

 

旅行最終日です。

 

湯田温泉の街をトボトボと歩いているとやたらと碑文の多い公園を見つけた。

 

井上公園とあり、明治の元勲井上馨の生家跡のようだ。


この地にゆかりの深い、種田山頭火や中原中也の歌碑などのほか、井上馨の立派な像。

 

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その傍らにあった碑に目が釘付けになった。

 

それは司馬遼太郎の短編「美濃浪人」で知られる適塾で医術を学んだ志士、所郁太郎の顕彰碑。

 

所郁太郎は刺客に襲われ重傷となった井上馨を、その場にあった畳針で傷を縫い合わせ、命を救った。


高杉晋作の参謀として活動した所郁太郎はこの翌年病死。


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司馬遼太郎の作品はその後「無名の人」として中学校の教科書にも載った。

 

このような場所で所郁太郎の名を見つけて、ちょっぴり感動。

 

宿にチェックインの後は温泉にゆっくりつかり、翌日は湯田温泉駅9時40分発。

いささか旅疲れもあって、もうどこにも寄らず一路沼津へ。

 

帰りの新幹線は平日にもかかわらず檄混み。

多くは大きな荷物を抱えた外国人旅行客。

 

ある程度予想は出来ていたので帰りは全て指定席を取っていた。

新山口駅から横は中国人の若者二人。

名古屋の駅ホームで昼食用のカツサンドを買って、乗り換えた新幹線では横にドイツ人のご夫婦。

 

沼津は15時02分着。

 

この一週間音楽はほとんど聴いていない。
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旅の4日目ぐらいに、なんとなく音楽が聴きたくなって眠れなくなってしまった。

ネットからアリス=紗良・オットの「ナイトフォール」と題するアルバムからドビュッシーを見つけ、スマホを枕元に置いて聴いて寝た。

 

Youtubeはアリス=紗良・オットの弾くドビュッシーの「夢想」

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2024年11月21日 (木)

旅の終わりは山口へ

曇りのち晴れ、最高気温19℃、最低気温は10℃。

木曜夜はオーケストラ。

いよいよ本番が近づき鈴木衛先生の指揮で前半のワーグナーを中心に。


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今日はハープが入った。

 

 

 

旅行6日めは九州から離れ帰路の途中に山口に寄ってみた。


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室町時代に大きな勢力を誇った守護大名、大内氏の手になる西の京と言われる山口の町。

その町並みと当時の建物として今に残る、瑠璃光寺の五重塔が主な目的。

瑠璃光寺五重塔は法隆寺、醍醐寺と並ぶ日本三大名塔のひとつで国宝に指定されている。
紅葉のタイミングが合えば絶景となるはず。

 

山口駅に降りて意外と地味な駅に驚き、観光案内所に行くと驚愕の事実が判明(・o・)


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五重塔は75年ぶりの大修理で、見ることができないとのこと。
自分の表情がよほどがっかりした顔だったのか、窓口の女性の気の毒そうな顔が印象的。


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とにかく瑠璃光寺のある香山公園に行ってみると、すっぽりと足場に覆われてそこだけ別世界。


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知らずに来たのか、傍らにいる観光客たちは皆一様に同じような失望の表情。


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若山牧水と司馬遼太郎の塔を讃える碑文も恨めしい。


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そのうち観光バスが来て、降りた乗客が塔のあたりを見て立ち竦んでいる。
旅行社は知らなかったんだろうか。


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広い境内を散策、紅葉にはまだ早く、この時期だけの公開だという瑠璃光寺のご秘仏と毛利家歴代の墓所を見る。


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瑠璃光寺の近くにひっそりと建っている古びた二階屋は「枕流亭」


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慶応3年に山口に来訪した西郷隆盛と小松帯刀が木戸孝允、伊藤博文らと倒幕の密談を重ねた建物で他の場所から移築されたもの。

 

昼時だったので、閑散とした広い駐車場に隣接したドライブイン風の店で、鴨そば(高くて少ない)を食べてこの場を去りました。

 

テンションが下がり、山口市街もさほど見たいものもなくこの日の宿、湯田温泉へ。

山口からJRで一駅の湯田温泉駅に到着。

宿のチェックインにはまだ早いので、この地にゆかりの深い中原中也文学館に向かう。

 

駅から歩くこと15分ほどで到着。

 

すると本日休館の表示が。

 

そうか今日は月曜日だった。・・・orz

 

背中の荷物がぐっと重くなりました。

 

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2024年11月19日 (火)

大分5日めは由布院

曇りのち晴れ、本日の最高気温は15℃。

日曜には最高気温25℃だったのが、秋を飛び越え12月の気温

 

 

九州5日めは由布院。

佐伯から大分経由で在来線で由布院へ。


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小さな駅に降り立つと、駅の改札を出た狭い構内に中国から来た人たち多数。

外に出ると歩道からもはみ出していて尋常ではない人の数。

ちょうど特急「ゆふいんの森」が入ってきている。

どうやらこの列車の乗客のようだ。

 

雨がポツリポツリと降ってきた。

 

大きな荷物を持っているので、まずコインロッカーを探す。
駅のコインロッカーはみな1200円、高い!

道路を挟んだ土産物店に荷物預かりがあるようなので、行ってみると店内のコインロッカーを案内された。こちらは500円。

この店で小さな折りたたみ傘を買う。

 

日曜日、道路は渋滞していて、歩道は東洋系の外国の人たちが大勢歩いている。

外観ではわからぬけれど、ほとんど日本語は聞こえてこない。

そのままメインの通りを歩くのは気が進まず、タクシーに乗り街中の喧騒を離れて「空想の森 アルテジオ」に行く。

 

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こは由布院郊外、森の中にある音楽に特化した美術館。


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中に入るとベートーヴェン像が迎えてくれた。


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ベン・シャーン、アンディ・ウォーホルの作品やストラヴィンスキーの肖像など。


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作品数はさほど多くはないけれど、館内には静かにバッハが流れて落ち着いた雰囲気。


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美術書がたくさん並んだ図書室には誰もおらず、ソファに座ったままウトウトと寝入ってしまった。


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近くにはモーツァルトのト短調交響曲第3楽章をあしらったオブジェ。


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美術館は人がいなかったけれど、隣のレストランは満席の盛況。


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ここでイベリコ豚のハンバーグに、カボスのジンジャーエールの昼食。


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外に出て金鱗湖に向かう。

 

由布院は盆地の里。

 

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坂道を下りながら雨の中歩くことおよそ20分。

 


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ようやく見えた金鱗湖は雨の中。


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紅葉は始まったばかり。


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人があまりにも多いので、メインストリートを避けて小さな横道に入ったら迷ってしまい、スマホのナビを使って今日の宿に向かう。

途中、小さな橋の分かれ道でどちらに行こうかと迷った時、はて、この景色はいつか夢の中で見たような・・・

これをデジャヴというのかな。

 

駅近くの小さな宿は受付が無人。

多少戸惑いながらQRコードで決裁を済ます。

後ろには韓国から来たらしきカップルが順番を待っていた。

 

部屋に入り、着替えて屋上にある野外露天風呂へ。

小さな温泉だけれど自分ひとりの貸し切り状態。


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雨が降る中浴槽に浸ると、細かな雨に煙る由布岳山頂が真正面に見えた。

 

山腹のほとんどが霧に隠れ、巨大な山頂だけが見えている。

 

まるで北斎の水墨画のような趣だ。

 

撮影はできなかったけれど、この景色は忘れられないだろうな。

 

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2024年11月17日 (日)

大分4日めは別府地獄巡り、そして佐伯で友との再会

日曜の朝、狩野川河川敷からの富士山は、久しぶりに雪を被った姿。


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今日は市内一斉清掃。

河川敷の雑草はきれいに刈り取られていた。

 

大分4日め。

この日は佐伯にいる学生時代の同級生に会う約束をしていた。

前日の甥の結婚式の時に列席した親戚から、別府駅から地獄めぐりのバスツァーがあって昼過ぎには終わる、ということを聞いて再び別府へ。

 

バスツァーで定番の別府温泉地獄巡り。

朝、別府駅から地獄めぐりのバスに乗る。


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バスの窓から見る別府市街はいたるところに湯けむりが立っていた。

別府の遊覧バスは日本初の女性ガイドを乗せたバスとのこと。
若いガイドさんの「七五調案内」の説明も昭和の雰囲気があって良い感じ。


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地獄めぐりは、旅行ガイドブックにあるそのままの彩色のさまざまな温泉。


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どれも90度を超える高熱の温泉。


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狭いエリアにそれぞれ異なった色の温泉が湧き出ているのが不思議。


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ここでは外国人観光客多数。
案内のガイドもハングルで説明をしている。


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熱源を利用してワニを飼っている。


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別府を去り大分県南部の町、佐伯市へ。


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ここでは40数年ぶりに再会した学生時代の同級生の案内で、江戸時代の櫓門の残る佐伯城本丸からの景色。


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佐伯湾は水深が深く、戦時中は海軍の軍都として栄えている。

真珠湾攻撃の時に 空母赤城ほかの機動部隊主力の艦船がこの佐伯湾に終結。
千島の単冠湾に向かっている。

 

佐伯は西南戦争の時に3ヶ月もの間両軍が激戦を繰り広げられた地。


市内にはいろいろと戦跡があるようだ。


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案内された当時の官軍戦死者墓地では、倒れている小さな墓石の多さに、かえって悽愴な雰囲気が漂っていた。

 

夜は久しぶりの再会を祝し、友いきつけの佐伯の名店「はし本」へ。


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豊後水道の海の幸を中心に大分の焼酎など。


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前菜からして手のかかったもの。


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美味しくいただきました。

 

その後河岸を変えて高級ワインの並ぶワインバーへ。


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久闊を叙して楽しく飲んで語らい、40数年の歳月は短い時間ではとても語りつくせぬほど。

時間は瞬く間に過ぎていく、

 

酒豪の彼は組織ナンバー2として未だ現役。

彼は翌日曜にも仕事を控え、名残りを惜しみつつ別れた。

 

次に会えるのはいつだろうか?

 

その日は佐伯泊。

 

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2024年11月16日 (土)

再び大分市へ大友氏館跡、そして結婚式ではホラ貝を吹く

終日曇りの土曜日。

午前中に畑に行くと小さな蹄の足跡と掘り起こしたような跡。


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どうやら昨晩イノシシが来たらしい。

幸い今は小松菜などの菜っ葉類しかないので被害はなし。

 

大分滞在三日目は再び大分市内です。


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大分市は1557年、初めて日本人による聖歌隊が組織された西洋音楽発祥の地。

大分県庁の前の記念碑。


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そして滝廉太郎終焉の地でもあります。


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今も発掘が続く大分市の戦国大名大友氏の館跡に行ってみた。


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広大な敷地に整備された庭園。


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発掘現場には重機と発掘中の人々。


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職員の方に伺うと整備完了は20年後とのこと。

 

続いて大分市街中心部にある府内城。


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大友氏が去った後に築城された平城で大手門にいくつかの櫓。


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再建された廊下橋が珍しい。


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夜は甥の結婚式に参列。

入籍は数年前に済ませているけれど、コロナ禍で式が今まで伸びてしまっていた。

歴史好きの甥夫婦に頼まれて披露宴では余興にホラ貝を吹くことになってしまった。

自分がホルン吹きだということでのことらしい。
いくらホルン吹きだといってもホラ貝は初めて。


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原理は同じなので、なんとかなるだろうと楽観していた。

なんとなく心配になって、前日にYoutubeにアップされてるホラ貝の吹き方などを見たりしていた。

どうやらホラ貝にも流派があるらしい。

 

式の直前の控え室で用意された大小二つのホラ貝を吹いてみる。

 

吹き口は同じホラ貝なのにマウスピース部分の形状がかなり異なっている。


大きい方は内径がトランペットのマウスピースに似ている。
一方の小さい方は吹き口の丸い穴がストレートに奥まで続いている感じ。

 

最初迷わず大きい方を吹いてみたけれど全然鳴らない。

焦って強く吹いたら、擦れた中にもホラ貝らしい重低音が鳴り始めた。

 

そして小さなホラ貝。


こちらはすぐに音が出た。

戦国時代のホラ貝の音としては大きい方が良いと思うけれども、ここでは大事を取って小さい方にした。

 

新郎新婦は同じ大学の先輩後輩で歴史学を専攻。


ウェディングケーキはなんと古墳と埴輪をあしらったもの。


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金色縅しの鎧兜に身を固めた甥が入場する際に、私はホラ貝を吹きました。

会場爆笑・・・


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宴が終わり宿までは歩いて帰りました。

 

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2024年11月15日 (金)

豊後路二日目、臼杵磨崖仏と臼杵の城下町

雨のち曇り、11月も半ばというのに本日の最高気温は20度。

富士山に初冠雪はあったけれど今では雪が消えて夏のような姿。

 

この画像は昨年の同じ日に静岡市から撮った富士山。


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そしてこちらは一週間前の狩野川からの姿。

今日も変わらずそのままの姿。
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大分旅行の二日目。

 

大分は国東半島を中心に数多くの摩崖仏があり国東半島のものも有名だけれど、大分駅前から直通バスが出ている国宝の臼杵の磨崖仏群に行くことする。

ここにある61体の摩崖仏全てが国宝に指定されている。

 

大分駅発8時44分の臼杵までの定期バスに乗り込む。

山奥にある臼杵石仏のバス停には9時50分頃到着。

 

平日でもあり観光客はあまりいなかった。

別府や由布院であふれかえっていた外国の人たちもここは誰もいない。


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チケットを買って100メートルほど坂道を登ると石仏の郷の全景が良く見えた。


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比較的広い平野の部分はかつて庭園と池を伴う大きな寺院があったとのこと。

しばらく眺めているうちに、遠くの寺院からゴーンという鐘の音が聞こえてきた。

 


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ここの石仏群は平安後期から鎌倉時代初期に彫られたもので、誰が彫ったのかは記録が全くなく不明だそう。


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巨大な姿に圧倒された。

当時の僧や仏師たちが一心不乱に岩を刻む姿を想像して、見ているうちにあまりにも神々しい姿に涙が出そうになってきた。


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小学校の遠足だろうか幼い子供たちが大勢石段を登っている。


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この付近一帯に心が洗われるような一種の清々しさが感じられた。

 

千年近くの雨風にさらされている石仏は今でも修復が続いている。


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臼杵磨崖仏の後、戦国大名大友宗麟の晩年の居城だった臼杵城へ。


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臼杵城は丹生島と呼ばれた島に築城された城。

今は周囲が埋め立てられている。

 

2つの櫓と復元された二の丸大手門がありしばし散策。


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島津氏に攻められた時に、大友宗麟は国崩しと呼ばれたポルトガル伝来の大砲(フランキ砲)を駆使して城を守りきっている。

 

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臼杵の街は、古い城下町の雰囲気を今に残していた。


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散策しているうちに迷路のような街並みに迷ってしまった。


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臼杵には、最後の城主稲葉氏の下屋敷がそのまま残されている。


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広い大広間は他に誰も居なかったので、そのままその場で横になりたくなった。


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床の間に掛かる軸は「不惜身命」、横綱貴乃花が口上で使って有名になった言葉だ。

 

屋敷に隣接するように臼杵の図書館が建っている。


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古色蒼然たる木製の看板。


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その横にあるこども図書館は百年前からある建物で、そのまま今でも児童図書館として使われていた。

 

その足で別府へ行き、別府駅から徒歩で竹瓦温泉へ。


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レトロな建物は、昭和13年の建築だそう。

 

別府の湯は熱かった。

 

以下続く

 

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2024年11月14日 (木)

秋の豊後界隈、小倉と大分

晴れのち曇り、天気はゆっくりと下り坂。

 

今日はオケの練習、仕事のあと市民文化センターへ。
沼津に帰ってきて久しぶりにホルンを吹いた。
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本番を指揮していただく鈴木衛先生のご指導で「新世界より」そのほか

 

 

大分で甥の結婚式が有り、先週から一週間ほど九州に行っていた。
久しぶりの九州なので何日か滞在して大分周辺を中心に回ることにした。往復ともJRを利用。

 

水曜朝早くに自宅を経ち、新幹線と在来特急を乗り継ぎ一路大分へ。
 

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昼時に小倉で途中下車して博多ラーメン。

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 ついでに第二次長州征伐で高杉晋作に攻められ落城した小倉城と庭園、復元された大名屋敷を見学。
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小倉城の天守は復興天守で必ずしも原型に忠実ではないようだけれど、この場所からの俯瞰する姿はちょうど周囲の石垣と良いバランスが取れているように思う。
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大分着は14時頃。


ホテルにチェックインして市街地にある府内温泉に行ってみた。


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なかなか見つけることができず、ビルの奥にあることを発見。

市営の古い温泉は琥珀色。

 

夕食はネットで探した居酒屋「こつこつ庵」に行ってみる。

かなりの人気店で早い時間なのに客が次々と入ってくる。

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ここでは関サバ、関アジの盛り合わせに鶏天。

そしてだんご汁など。

若い店主が気を利かせてくれて大分の郷土料理を少しずつ出してくれた。

この機転が人気の秘密なのだろう。

 

続きは次回です。

 

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2024年8月 1日 (木)

箱根湯本の日帰り温泉と中華ランチ

今日から8月、昨晩遅くに久しぶりの雨。

 

昨日は箱根湯本で中華のランチ。
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親戚の香典返しにいただいたカタログギフトから選んだホテルの中華料理店にて。


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箱根湯本へは自宅から車で一時間余り。

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昼前にホテルに到着して、セットになっていた温泉チケットでまずは一風呂浴びて昼食は中華でランチコース。


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ホテルのロビーには外国の方が多数。

 

箱根湯本は東京から小田急に乗る交通の便も良く、気軽に温泉を楽しむのは良い場所だ。

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食事を済ませた後に湯本駅付近を散策。

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 外国の人々のほか、夏休みに入ったらしき学生の姿もあり平日とはいえかなり混んでいた


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帰り道での箱根山頂付近は土砂降りの雨。

 

この雨雲が数時間後に関東平野に流れ込み大雨を降らせている。

 

 

 

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2024年4月 1日 (月)

湯河原の宿「伊藤屋」のことなど

今日から4月。
昨日に続いて暖かな一日。

 

湯河原旅行の続きです。


湯河原の宿は創業明治21年の「伊藤屋」

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島崎藤村の定宿で創業明治21年、国登録有形文化財。

島崎藤村の定宿だった歴史ある旅館。


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藤村の宿帳などが残されていた。

 

宿泊できた部屋は17番。


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大正15年の建築で藤村の宿泊した当時のままが残る部屋とのこと。

 

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部屋に昭和10年の文字が残る額があったけれども、宿のおかみさんに尋ねたけれども誰の筆かはわからないそう。


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また伊藤屋は2・26事件の襲撃の舞台となった旅館で、当日別館「光風荘」に家族と一緒に逗留していた、元内大臣牧野伸顕(大久保利通の次男)が青年将校たちに襲われている。

警護の巡査と銃撃戦となり、巡査は殉職しましたが牧野伸顕は助かった。

 

私が宿泊した部屋の隣の19番は、事件前日に青年将校らが偵察のために宿泊した部屋。


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夜半から激しい雨。風も出てきた。

予報を見ると翌日は警報級の春の嵐らしい。

翌金曜は予報通りの激しい雨

 

チェックアウトを済ませすぐ近くの和菓子処「小梅堂」に寄る。


こちらも1910年創業の老舗。


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お土産に名物の元祖きび餅とかるかんや2色団子などを購う。

 

 

家内が湯河原美術館内のカフェに行きたいと言い出したので再び向かう。

作品は前日に見ていたのでそのままカフェへ。

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カフェ近くの壁に、なにやら古めかしい看板と湯河原町立美術館の由来が書いてあった。

説明によると、この建物はもともと「天野屋旅館」という老舗旅館の本館の建物で、1998年にリノベして美術館に生まれ変わったのだという。

 

なるほどなるほど、納得。
「天野屋旅館」は伊藤博文や夏目漱石、竹内栖鳳らが滞在し夏目漱石の「明暗」の舞台にもなっている。

旅館の時はさぞやモダンで洒落た建物だったのだろう。

西洋館風の小窓などに年季が入っている。

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洋風庭園も素敵だ。

 

なお別の場所にあった「天野屋旅館 新館」は2005年に廃業し解体されている。

 

カフェ内では特別展にもあった北村麻衣子の作品が壁に掛けてあった。
小さく金額が書いてある。

週末に展示即売会がありその作品だという。

なんとなく興味を示して見ていたら、カフェの店員さんが飾っていない作品も取りだしてくれた。

買う気があると見えたのだろうか?

 

結局購入はせずに暖かい豆乳とソフトクリームを食べて帰路に。


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雨と風がひどくなりそうな予報なので、帰りは山間部の箱根は避け熱海経由にしたらこれが大失敗。

大きな渋滞に巻き込まれて予定よりも一時間近くオーバーして自宅に到着したのは午後3時。

 

着替えもせずにオフィスに顔を出してお土産を渡していたら、この3月で退職するかつての部下が挨拶のため私を訪ねてきたという。

彼は30になったばかり、入社時には自分の部署に配属されていた。

今回の人事異動で退職者名簿に入っていたので気になっていた。

 

この29日は退職辞令の発令日。
電話すると未だ社内にいるというので会うことができた。

彼はここで結婚することになり、奥さんとなる人の実家近くへ再就職したとのこと。

めでたい、よかった。

 

その夜は市主催の「クラシックレコードコンサート」の解説だったので、そのまま市民文化センターへ向かう。

 

中身の濃い二日間。

 

 

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2024年1月16日 (火)

川越氷川神社とうなぎの「いちのや」のことなど

1月も半ばとなり今日も良い天気。

朝から冷えて朝の気温はマイナス一度。

 

先週末は孫の一歳の誕生会で埼玉へ。


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7時35分沼津始発のJR小金井行きに乗る。

大宮まで乗り換えもなくグリーン車にしたので快適な2時間余り。

 

到着は昼前。


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もう一人の娘家族に婿殿の両親と弟さんも加わり、娘宅の近くのカフェを貸し切って「一升餅」「選び取り」

 

孫が選んだ札は芸術家だった。

 

婿殿一家はスキージャンプにバスケ、走り幅跳びなどのスポーツマン一家。

スポーツ選手を選ばずちょっぴり残念そう。

 

誕生会のあとは娘宅に場所を移し歓談+宴会。


幼い孫が3人もいるので大騒ぎ。

夜になって雪が降ってきた。

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その日は娘宅に宿泊。

 

翌日日曜は、上の娘家族と一緒に川越奏和奏友会吹奏楽団のファミリーコンサートへ。

娘はかつてここの団員だった。

 

朝早くに婿殿の車に乗り川越に向かう。

 

川越に向かう途中、富士山がよく見えたのには驚いた。


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最初に向かったのは川越氷川神社

この神社、小さいながらも縁結びの神様で若者に人気なんだそう。

 

神社近くに行くと臨時駐車場もできていて交通整理の人がいた。

 

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狭い境内には大勢の人、本殿には行列。

若者が多かった。


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ここでは金魚すくいのようなおみくじが人気のようだ。

引いたくじの結果は「中吉」。


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初詣の楊原神社は「大吉」だった。

境内の広さとしては楊原神社の4分の1ほどながらこの賑わい。

人気になったのは最近のことらしい。

 

神社の境内の隅に小さな別社があり、よくみると柿本人麻呂神社とある。

 

万葉歌人の柿本人麻呂が神様として祀られていた。


防火と家内安全の神だという。


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すぐ横に同じく万葉歌人の山上憶良の歌碑

篆書のうえ字が細かいので読めない。

 

本殿よりもこちらの方が収穫。

 

お参りを済ませ小江戸川越市街へ向かう。

市街地をしばし散策。

川越市は大きな空襲にあっていないので、大正から昭和初期の建物が残っていて良い雰囲気だ。

 

ここでのお目当てはウナギ。

川越はウナギの町。

 

創業天保3年の老舗「いちのや」で久しぶりのウナギを堪能。

静岡県東部は司馬遼太郎が愛した沼津の「冨久屋」と三島の「桜屋」、新興のお店ながら今や人気の清水町の「うな繁」などウナギの名店ひしめく激戦区。

 

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いちのや」のうな重もふっくらとした身に多少淡白なタレで食べ飽きない味でした。

 

お店を出てコンサート会場のウエスタ川越に向かう。

 

コンサートの感想は次回。

 

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